政治家が守ろうとしている「国」とは?
―― 恐ろしいのは、今回のウクライナ問題に乗じて、「国を守る」ためには日本も核を持つべきだ、憲法を変えようという動きが出ていることです。
問題は、「国を守る」というときの「国」が何かということですね。民主主義国であれば、国を守るというのは国民の生命と暮らしを守ることなのですが、昭和の大日本帝国はまったく違いました。大日本帝国時代における「国を守る」の「国」は、天皇中心の国家体制=国体であって、一人一人の市民は守る対象ではなかった。それが一番露骨なかたちで出たのが沖縄戦で、あのときは日本兵が市民から食料を奪ったり、あるいは、赤ちゃんの泣き声で居場所がわかるので殺してしまうなど、市民を守るどころか、軍を守るために市民を犠牲にするような事例がいくつも発生しました。
けれども、そんな違いを理解している人は、おそらく今の日本では少数派だと思います。政治家から「国を守ろう」といわれると、一人の国民の務めとして協力しなければいけないと思う人が多いでしょう。その時に、政治家が語る「国」というのは何かというのを、まず確かめないといけない。
また、国を守るために軍備を増強するとか、核兵器を持つべきだと主張する人がいますが、それが本当に国を守ることになるのか? と立ち止まって考える必要があります。際限のない軍備増強は、外交交渉の軽視を招き、また他国から脅威と見なされて逆に戦争を近づけることもあります。
これまで日本は、専守防衛で、外国を攻撃してはならない、その能力も持たないという安全保障の哲学を国是として貫いてきたわけですから、ロシアや中国から見れば、在日米軍は脅威だけれども、日本そのものは脅威にはなっていない。ところが、日本が他国の領内を攻撃する能力や核兵器を持つとなると、その途端に次元が変わる。潜在敵国の一つとなってしまい、かえって戦争に近づくことになるんです。
昭和の大日本帝国が戦争の泥沼に足を踏み入れた流れを、思い出してみましょう。日中戦争は一九三七年七月の盧溝橋事件に始まりましたが、あの偶発的な銃撃戦を起点に、日本側はどんどん兵力を拡大していく。そのときの名目が「自衛権の行使」なんです。後世から振り返ると、あれは明らかに自衛ではない。そもそも中国に日本の兵力を駐留している時点で、その根拠は何かということが議論になるわけです。そこで銃撃戦が起きたから自衛のために兵を進めるというのは、今回のウクライナ問題にも共通する面があります。
ウクライナ東部の二つの地域を共和国という名目で独立させ、それも含めたウクライナのロシア人の安全を守るという名目をプーチンは主張しています。視点を操作すれば、実際には侵略なのに自衛だという言い方もできてしまう。だから、国を守るという名目は、拡大解釈可能なんです。
昭和の大日本帝国も、アメリカへの真珠湾攻撃や、東南アジアへの侵略を、自存自衛の戦争だと正当化していたわけです。でも、それは日本側から見た一方的な主張であって、第三者的に見れば、そんな理屈は成立しない。当時の日本がアメリカなどから経済封鎖されたのは、日本がインドシナに進駐したり、その前段階で行った中国への侵略などに対するリアクションであって、いきなりハル・ノート(アメリカの国務長官ハルが日本へ提示した覚書。日本はこれを最後通牒と判断し、開戦に踏み切った)や石油禁輸を突きつけられたわけではない。被害者のように振る舞って侵略をするという図式は、いまのプーチンとそっくりですね。
いまだに残る、人の命を軽んじる精神文化
―― 今回、精神文化の問題に焦点を当てたのはどういうところからでしょうか。
例えば、太平洋戦争末期に日本軍が行った特攻について。自国の軍人を敵艦に体当たりさせて死なせるという非人道的な戦法をなぜとってしまったのか。これは本来なら、戦争の遂行とは切り離して考えるべき人道的問題です。太平洋戦争に参加した国はたくさんありますが、ほかの国はそんなことはやっていない。日本の陸軍と海軍だけです。戦争をやるかやらないか以前の精神文化の問題で、人の命を軽んじることを認めてしまう人命軽視の世界観のようなものを、当時の日本人は当然だと考えてしまっていたわけです。
特攻があたかも美しい行為であるかのような、そして隊員が自由意思で行ったかのようなフィクションまでつくってしまった。特攻という問題の根源にあるものの解明は、まだできていないと思います。それだから、特攻隊員を美化するような小説や映画が、今も日本では人気を博してしまう。特攻隊員を悼みつつ、特攻という手法そのものは否定しない。
それは、現在の日本での組織と個人の関係にも影を落としています。人が死んでも、それを大ごとだとは思わないような考えが精神文化として残っている組織もあり、社会全体でも何となく、そういうものを仕方がないとするような考え方がいまだにある。特攻も含めて、そうした精神文化の問題をまだまだ掘り下げていかなければならないと思っています。
―― 第四章「敗戦時の日本は何をどう反省していたのか」で、当時の文部省が作成した「新教育指針」を取り上げて、当時文部省が考えた、戦後の日本が戦争を繰り返さないために「改善すべき点」のほとんどがいまだ改善されていないことを指摘されています。
社会が良くなっていくのも悪くなっていくのも、いきなりそうなるのではなくて、ある幾つかの段階を踏んでいくことがほとんどですから、社会の空気の変化に着目する歴史教育が重要ですが、日本にはそれが欠けていると思います。日本史の授業でも、近現代の昭和時代はすごく雑なダイジェストみたいな説明しかやってないので、「戦前から戦中にかけての国民の意識がどう変化したか」という大事なことは教えていない。そこが一番重要なポイントのはずなのに、表面的なことを羅列するだけで終わってしまう。
その結果として、実証的な研究に基づく歴史的事実を知らない国民が増え、「南京虐殺はなかった」とか「あの戦争はアジア植民地の解放戦争であって侵略ではない」などの、いわゆる歴史修正主義で大日本帝国の蛮行を正当化する言説が社会に広まっています。しかも、そんな人間が「保守」などと自称している。歴史の歪曲を「愛国」として免罪し、容認するような危ない状況が、いま起きているわけです。
そんな無反省な思考が社会に広まれば、また過去と同じ失敗を繰り返すリスクが高まります。また、近現代史の歴史教育に欠陥があれば、外国人との意見交換などで摩擦や対立の原因にもなり得ます。従って、学校だけに頼るのでなく、社会全体で取り組むべき問題と思います。
日中戦争の勃発前から勃発後にかけての日本社会の空気感の変化をテーマにした『1937年の日本人』を書いた際、当時の新聞や雑誌を読みましたが、その頃の日本人は日本軍人が外国で戦う状況に疑問を抱かず、「正しい目的のために兵隊さんが戦ってくれているのだから、みんなで応援しなくては」という義務感を共有していたことが読み取れました。政府や軍部は、立派な大義名分や、兵士の自己犠牲を美談に仕立てた宣伝を駆使して、国民を「戦争を応援する心理」に誘導しました。また、政府や軍部は外国の脅威をことさら誇張して、軍備増強の必要性を訴えるという手法も使いました。
気がつくと、今の日本にもまた当時と似た空気が広がっているようです。一人一人の人間が大事にされず、国や社会のために我慢や犠牲を強いられ、仕方ないとあきらめさせられる。本当なら、一九四五年の敗戦で、そんな嫌な空気を日本社会から一掃すべきでしたが、できませんでした。なぜできなかったのか。それをするには何が必要なのか。本書で提示した論考を、ヒントにしていただければと思います。