池田先生が箸の上げ下ろしまで口を出すようなことはありません

カリスマでないなら、いったいどんな存在なのか?

「現代における法華経の解釈、日蓮の言葉を実生活や自分たちの人生に置き換えて指導してくれる人が池田先生なんです。だからカリスマというよりは、信仰の指導者であり師匠ですね。柔道でも書道でも師匠がいるように、池田先生は“人生や信仰における師匠”という側面の印象が、われわれ世代には強いんです。だから、池田先生が右向けって言ったから絶対に右を向かないと会にいれないとか、池田先生が大学行って勉強しなさいと言ったからみんなが必ず大学に行くわけじゃありません」

別の40代の一般男性会員も「カリスマ」についてこう語った。

「こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、カリスマという表現をする人の感性が古臭いというか。だいぶ昔から創価学会のことを論じて金をもらっている人たちなんじゃないかと、ほとんどの学会員はそう感じていると思いますよ。だから、池田先生が亡くなって創価学会が空中分解するだろうと思っている学会員も皆無だと思います」

「カリスマ」ではないとしても、最高指導者の後継者問題は浮上していないのだろうか。男性が続ける。

「もともと池田先生はもう10年以上、表には出られていません。それまでの何十年の間にご指導とかいろいろな物を残されてきて、実際に『これからはみんなでいろんなことを決めていきなさい』とおっしゃって表に出られなくなりました。池田先生も人間ですから生物学的にはいつかは必ずお亡くなりになるときが来る。なのでこの十数年はそのための準備期間として会を運営してきた。池田先生が箸の上げ下ろしまで口を出すようなことはありません。世界192カ国にある巨大な宗教団体なんで」

1962年に撮影された30代の頃の池田大作氏(撮影/共同通信社)
1962年に撮影された30代の頃の池田大作氏(撮影/共同通信社)

「後継者」に関する重要なポイントは、創価学会の信仰上の指導者が、教義上は3代会長の池田氏までというところにある。実際に創価学会は2002年に会則を変更し、初代・牧口常三郎、第2代・戸田城聖、第3代・池田大作の「三代会長」までを永遠の指導者と定めており、第6代の原田稔・現会長は「師匠」に当たらないようだ。前述の幹部もこう証言する。

「原田会長も会を運営している中心者で、会社でいえば社長ですが、4代以降はあくまで会を運営する中心者でしかないので、後継者がどうとかいう感覚がないはずですよ。でも、そんなに後継者争いって気になりますか? 池田先生が表舞台から見えなくなってもすごい影響力を持ち続けているとお考えの方も多いのでしょうけど、学会の中にもいろんな人たちがいます。

それこそ日本国民の10人に1人が創価学会員だったりしますが、信仰の理解度にも差があります。一生懸命、教義を学んで、会の方針に呼吸を合わせてやっている人もいれば、池田先生の指導は読むけど会合には出てこないという人もいます。日蓮の勉強はするけど選挙活動はしないとか、自分は拝んでるけど学会の活動は行きたくないとか、学会には入りたくないけど池田先生の書物は読むという人もいますよね。繰り返しますが、ただ単に『カリスマ』という表現をされる方は、昔の創価学会を語っている人という印象がします」