予定していた30分の演説をわずか7分強で切り上げ、覚悟の割腹で自刃
午前11時に面会を申し込んでいた東部方面総監・益田兼利陸将の部屋に、来客として通された三島由紀夫と若い部下たちは、打ち合わせておいた合図に従い、素早く総監を縛りあげて身体の自由を拘束し、部屋の入口を机や椅子などでバリケード封鎖。
総監室の異変を感じて集まってきた幕僚らに対して、ドアの隙間から4つの要求を書いた紙が渡された。その要求が受け入れられなければ総監を殺して、自分も切腹すると書いてあった。
そして市ヶ谷駐屯地の全隊員が、正午前に中庭へと集められた。
総監室の外にあるバルコニーに姿を現わした三島由紀夫は、定刻の正午になるのを待って、マイクも持たずに肉声で、力を込めて演説を始めた。
真の「国軍」として自衛隊員であるならば、自分たちに続いて決起に参加せよという、身ぶりを交えながらの訴えだった。
しかし、集まった自衛隊員たちは誰も話をまともに聞こうとせず、怒号と野次と冷笑が浴びせられた。
さらには事件を知って増えてくる報道機関のヘリコプターが上空を旋回し、演説の肉声はその爆音によってかき消されてほとんど聞こえなくなった。
地上では報道陣が次々に到着して録音機を回し、写真が撮影され、生中継のラジオ番組が始まった。
三島由紀夫は予定していた30分の演説をわずか7分強で切り上げて部屋に戻ると、事前の計画通りに覚悟の割腹で自刃した。
12時30分過ぎにはテレビとラジオが事件を報道し、衝撃のニュースは全世界へと瞬時に配信されていった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP 写真/shutterstock
〈参考図書〉松本徹編著『年表・作家読本 三島由紀夫』河出書房新社