実はおとぎプロが持つ「初」の栄誉

『鉄腕アトム』は「日本初の連続テレビアニメ」と称されるが、正確には「日本初」ではない。内容も規模も異なるが、「日本初の連続テレビアニメ制作者」の栄誉は、横山隆一のおとぎプロダクションが持つ。

90分のアニメを200人が1年かけて作っていた時代に、30分のアニメを年間52本作ろうとした手塚治虫。「日本初のテレビアニメは鉄腕アトムではなかった」_3

手塚治虫がアニメーション作りに乗り出したころ、1961年5月1日に始まった『インスタント・ヒストリー』こそが、「国産テレビアニメ第1作」だった。フジテレビで毎日17時47分から50分までの3分間の番組で、そのなかの1分間がアニメで、1日ごとにその日に起きた歴史的な出来事を紹介する内容だった。

鈴木伸一はじめ7人のアニメーターがひとりで1週間に1本ずつ作り、62年2月24日まで1年半にわたり放映された(放映時間は、変動する)。その後、62年6月25日からTBSに移り、『おとぎマンガカレンダー』と改題して1年間作られ、2年目は再放送して、番組そのものは64年7月4日まで2年間続いた。演出・作画・美術として横山隆一の他に、鈴木伸一、町山充弘らの名も挙がっている。

並行して作っていたのが『プラス50000年』という9分の短編だ。アメーバーから爬虫類、猿から人間へ、そして人間はどこまで進化していくのか、進化論をアニメーションで描くもので、鈴木伸一が構成・演出・動画を担った。1961年10月に完成し、フランスのトゥール国際短編映画祭で上映され好評だったが、劇場公開の機会はない。日本での上映は64年3月になる。

1962年8月25日、「総天然色長編漫画」として『おとぎの世界旅行』が東宝系で封切られた。1960年に完成していながら、公開の機会がなかったものだ。東宝の特撮怪獣映画『キングコング対ゴジラ』が11日に封切られ、当初はザ・ピーナッツ主演『私と私』との2本立てだったがヒットしたのでロングランとなり、3週目の25日から『おとぎの世界旅行』との2本立てになった。

『おとぎの世界旅行』は「総天然色長編漫画」とあるようにカラーで76分、東映動画の長編に匹敵する規模の作品で、横山隆一が制作・原作・監督を担った。もともとは7つの短編だったが、作画作業に入る前に、配給する東宝から「短編だとおまけみたいなので繫いで1本の長編にしてくれ」との要請があったので、7つから5つに減らし、長編に仕立てた。

ソーラン老人とオケサ青年、チョイナ少年の3人が手製の蒸気自動車に乗り、世界一周してそれぞれの地で漫画映画を上映するという入れ子構造のオムニバスだ。制作順としては『おとぎの世界旅行』が先で、その後にテレビの『インスタント・ヒストリー』、短編『プラス50000年』となる。

さらに1963年、『鉄腕アトム』が放映開始になった年には、『宇宙少年トンダー』という5分もののテレビ用アニメを13本作ったが、スポンサーが付かず、放映されなかった。

人気マンガ家で、私財を投じてアニメーション・スタジオを作った点で、横山隆一と手塚治虫は同じだった。横山隆一は手塚治虫にとってお手本であり、反面教師でもあった。