若者の象徴だったウッチャンナンチャン
ブラックミュージック影響下のとんねるず
――そこからドラマ『ウッチャンナンチャンのコンビニエンス物語』(1990年/テレビ東京)の話になり。
当時のウッチャンナンチャンは、夢を持って上京した若者たちの象徴みたいな存在でしたよね。内村も南原も地方出身なので、彼らが東京に来て、そこで見聞きした風景をネタにしている。
――90年代のウッチャンナンチャンは、コントの設定がコンビニの客と店員だったり、喫茶店での電話の呼び出しなんかをネタにしていて、モチーフも世相を反映した時事ネタのお笑いでした。
お笑いの話でいうと、「とんねるずはなぜ高卒を売りにしたのか」というパートもあります。実際にとんねるずが活躍した1980年半ばは、統計の数字としては大卒よりも高卒のほうが多かった時代。ただし、テレビ局やレコード会社といった、いわゆる業界人は圧倒的に大卒でした。
都心で生まれ、文化資本のある家庭で育ったような人たちが多数を占める業界の中で、とんねるずの二人は文化系でもないし、東京でも郊外の出身で、10代のころからディスコで遊んでいるような不良だった。そういうストリートの感じを本人たちも売りにしていたし、世間も歓迎した。
――二人が出身の帝京高校や、石橋貴明は成増、木憲武は祖師ヶ谷大蔵と、地元をレペゼンしていたのも印象的でした。
それはブラックミュージックの影響ですね。ラッパーが出身地をレペゼンするのと同じノリ。芸としても、石橋はMCハマー、木梨はマイケル・ジャクソンのものまねをしていたり、とんねるずとして発表した楽曲もその当時ストリートで流行っていたブラックミュージックを取り入れている曲が数多くある。80年代後半は、とんねるずを通じてお茶の間にブラックミュージックが普及していたとも言えます。
――『とんねるずのみなさんのおかげです』のコーナー「ソウルとんねるず」も、アメリカのダンス番組『SOUL TRAIN』のパロディでした。
とんねるずのブラックミュージックへのオマージュは筋金入りで、2008年にDJ OZMAと結成する矢島美容室も完全にそうですよね。