エルサレムの領有権はユダヤ人だけのものだと強く主張するイル・ダビデ財団

考古学もまた紛争地帯だ。

ユダヤ人もパレスチナ人もこの土地と結びついていることを明示する実際の歴史的・考古学的根拠は豊富であるにもかかわらず、その多くが、説得力に富む歴史的主張を裏づけるためだけでなく、「相手方」の結びつきを否定するためにも利用されてきた。

1990年代にイスラエルは、パレスチナ領域である東エルサレムの人口密集地シルワン(シロアム)地区の真ん中で、考古学的遺跡群をイル・ダビデ(ダビデの町)国立公園として公開した。

シルワンとイル・ダビデはグリーン・ラインの東、16世紀にオスマン帝国が建築した旧市街の城壁のすぐ外側に位置し、かつて古代ユダヤの都市エルサレムが築かれていた場所の一部を占め、神殿の丘の南の傾斜地にかかっている。

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イル・ダビデのプロジェクトを手掛けた右派ナショナリスト宗教団体イル・ダビデ財団は、エルサレムの領有権はユダヤ人だけのものだと強く主張している。

とりわけこの施設が目指すのは、ダビデ王の王宮と、彼の息子ソロモンが建てた神殿の痕跡の発掘だ。ソロモンの神殿に取って代わったのがヘロデ王による神殿の丘の建築群(嘆きの壁を含む)だが、それもやがてローマ帝国に破壊され、最終的に岩のドームが建てられていまに至っている。

現場での発掘作業をイスラエル考古学庁が行なう一方、イル・ダビデ財団は発掘による成果を利用し、聖書を根拠にユダヤ人がエルサレム全域の権利を持つという彼らの物語を裏付けようとしている。

同財団はこの物語を実践に移し、イル・ダビデ近辺のパレスチナ人の住宅を買い上げてユダヤ人家庭に提供している。そうやって、東エルサレムのパレスチナ地区の真ん中にユダヤ人の新たな入植地をつくり出しているのだ。

アメリカの元駐イスラエル大使ダン・シャピロは、東エルサレムの人口構成を変えようとするイル・ダビデ財団の動きには「イスラエルの恒久的支配を決定的にするという明確な政治的意図がある。それは、いまでも解決の望みを持つ者にとっては、いいことではない」と述べている。

しかし、財団側から見れば、2000年余の一時的不在を経て、ユダヤ人を神殿に近い地区に帰還させているだけだ。

そのような同財団の活動は、公園も、考古学的遺跡も、入植地も、すべて政府の後援と政府との連携によって運営され、政府は毎年、財団の最新式のビジターセンターを見学させるために大勢の学童や兵士を送り込んでいる。