一度決めたことを覆せないから悲劇が起きる
太平洋戦争の開戦が迫る1941年に、日本政府は「金属類回収令」を公布して、1943年に施行された。鉄や銅を溶かして武器や弾丸の材料にするため、全国の寺から強制的に梵鐘を供出させたのをはじめ、偉人の銅像、学校のストーブ、時計の鎖、金ボタン、メガネなど、細々とした生活品までもが回収された。
物資不足が明白になった時点で日本が白旗を上げていれば、あそこまで国が焼け野原と化すことはなかっただろう。空襲によって多くの命が失われ、二度も原爆を投下される前に、戦争をやめる決断を下すこともできたはずだ。少なくとも無条件降伏するよりは、もっとマシな未来があったとしか思えない。
けれども、自主性が薄く、従属性が高い日本人はそうした合理的な判断は下せなかった。ウクライナに攻め込んだ今のロシアの状況も、それに近いものがあるだろう。プーチン大統領のウクライナ侵攻の判断に、合理性はほぼないといっていい。
結局のところ、太平洋戦争に血道を上げていたのは己の命令一下、国民を思い通りに動かすことの束の間の快感に酔っていた一部の軍部のトップの連中だけで、彼らとて本気で勝てると思っていなかったに違いない。国民は徴用され、命令通りに駒のように動かされたに過ぎない。
だから日本の降伏が明らかになり、軍のトップが拳を下ろせば、国民は一斉に、簡単に戦争をやめた。もともと、やりたくなかったのだから当然だ。ベトナム戦争でアメリカに徹底抗戦の構えで挑んだベトナム人のように、「自分たちの力で日本の勝利を手にしよう」と躍起になった人はごく少数だろう。
日本に勝利したあとでベトナム戦争を仕掛けたアメリカは、日本とベトナムの国民の感性があまりに違うことに驚いたはずだ。そのあとにアメリカが侵攻したアフガニスタンやイラクも、日本ほど御しやすくなく、一貫してアメリカの言いなりになっているのは日本くらいだろう。
一度決めてしまったことは覆せない。惰性で行けるところまで行って、もしかしたら勝てるかもしれないという一縷の望みに懸ける。それでいて、上が負けたと決めてしまえば、さっと変わり身が早く転向する。こうした思想性の欠如と節操の無さは、太平洋戦争の頃からちっとも変化していない日本の特徴だ。
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文/池田清彦
写真/shutterstock