恨みが薄れやすい国民性
そもそも、本来であれば日本はアメリカにもっと恨みを募らせてもいいはずだ。
広島、長崎に原爆が投下されたことによって、約21万人もの命が奪われた。核兵器が実戦で使用されたのは世界でもこの2都市だけだ。原爆投下から75年以上が過ぎた今でも、被爆の後遺症を患う人々がいる。
被爆者やその親族だけでなく、日本国民全体が「原爆を落としたアメリカを絶対に許さない」「あいつらは悪魔だ」というパトスを抱くようになっても何ら不思議ではないだろう。他の国であれば、自らの命を賭してでもテロ行為に走る人も出てくるかもしれない。
だが、大半の日本人はあっという間に恨みを風化させてしまった。
そもそも太平洋戦争を開戦したこと自体が、日本にとっては合理性のない無謀な賭けだった。
太平洋戦争開戦前の日本とアメリカの国力の差を比べれば一目瞭然である。当時のアメリカ国内の原油生産量は、日本の約700倍。GDP(国内総生産)も7倍以上の開きがあった。短期決戦であれば勝てる見込みもゼロではないかもしれないが、総力戦になった時にどちらが勝利するかは明白だ。
もちろん、当時の知識人の多くは、日本の敗戦が必定であることを知っていたはずだ。けれども世間の空気が、それを口に出すことを決して許さなかった。ここにも世間こそを真の「主人」とした日本人の自己家畜化が表れている。