バイトダンスの創業者、実はマイクロソフトでも働いていた

2011年、大学を卒業して6年が経っていた。彼は人気の旅行検索サイト「酷訊(クーシュン)」やマイクロブログのウェブサイト(つぶやきサイト)「饭否(ファンフォウ)」など、中国国内の数々の新進ハイテク企業に勤務しては、辞めていた。

あのマイクロソフトで働いていたこともあったが、厳格な企業思考と社内で当たり前のようになっている強力な監視体制のせいで、決して楽しい経験とはいえなかった。既存の企業に失望した彼は、自ら不動産検索エンジン「九九房(99Fang)」を設立した。

イーミンが新しいアプリ―今日頭条(トウティアオ)―のアイデアを思いついたのは、北京の地下鉄で通勤途中のことだった。

大学時代に本を貪り読んだように、イーミンは新聞や雑誌を丸ごと読みあさっていた。「当時、情報伝達は非常に大きなビジネスだと感じていました」と彼は2018年に別の大学で学生たちに語っている。「情報伝達における効率の差は、個人の認識はもとより、社会全体における効率と連携に非常に大きな差をもたらすものなのです」

新聞が衰退しはじめると、イーミンは人々がニュースを知る方法がほかにもあると察した。

「ふと気がつくと、地下鉄の中で新聞を読んでいる人がどんどん減っていたんです」と出身大学の学生たちに話している。

彼はスマホの販売数を見て、2011年に一気に急増していることに気がついた。そして、ある結論に至った。「スマホが新聞に取って代わり、情報流通の最も重要なメディアになったと思いました」

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「大規模で深遠なイノべーションと大きな変化が起こるだろうと予測していた」

もっと直観的に言うと、未来はAI―現在、バイトダンスのアプリやサービスの中核をなしている―が動かすだろう、そうイーミンは予見した。未来には、広告主の意向やその日何が読まれるかといった新聞編集者の判断ではなく、読者の興味に基づいてニュースのヘッドラインが提供されるだろう。

イーミンは〝人々を情報で結びつけたい〟と思った。彼はソフトウェア工学を学んでいたもののAIシステムの開発についてはまったく知識がなかったが、そんなことはたいした問題ではなかった。彼はそれを学ぼうと考えた。

大学時代にバーベキューで親交を深めた仲間が助けてくれるはずだ。九九房の日常業務については、それを引き継いでくれる実務家を雇い、彼はさらなるアプリの開発に没頭した。

それは、学ぶことが好きでつねにアンテナを張りめぐらせているイーミンがビジネス界の巨大なチャンスに気づいていたからで、今になって思い返せば、少なくともかつて彼が語っていたことなのだ。

彼は2007年に最初のiPhoneが発売になるやいなやそれを購入し、ポケットの中にスーパーコンピューターが入っていることにわくわくしていた。バイトダンスの設立以前、九九房やその他の企業で働いているあいだに、モバイルインターネットがゆっくりと盛んになっていくのを目の当たりにしていた。

2011年の終わりには、一つ飛躍をして新しい会社を起ち上げることを決意した。「それは多くの偉人の伝記を読んでいたことと関連しています」と彼は言う。

「ビッグトレンドに直面しても、人はたいていそれに気づかず、あとになるまで何も感じていなかったりするものです。2011年、私はまさに科学技術の進歩が新しい分野を生みだすだろうと感じていました。大規模で深遠なイノべーションと大きな変化が起こるだろうと予測していたのです。この変化は今も止まることを知りません」