ゲットーの住人たちに示す共感
それしか方法がなかったのだろう。
そこで生きていくために悪いことをしてでもなんとか這い上がるしか他に選択肢がなかったのだと、そういうことを考え思いやる。これがエンパシーだ。
「自分はそこにいなかったから」という理由でそれを表現することから逃げてしまったら、アーティストとしては終わりじゃないかと思う。
自分自身は比較的貧乏な家だったし、両親も結婚してなかった。幼少の頃は病気がちだったから、少年時代を「オレには力がない」って思いながら過ごした。「死ぬかもしれない」「貧乏」「よその家にあるものがない」とかなりコンプレックスを持っていた。こういう背景もあったことが、アメリカに行った時にそこでの黒人差別に共感しやすかったのかもしれない。
かなりの確率でアメリカのラッパーは、ゲットーの住人たちに共感を示す。親がいなかったり、無責任でしっかりした教育を受けられなかった、という現実に対してだ。
それ以外も、若くして年上の悪い男と付き合って子供ができちゃって、自分の将来を棒に振らざるを得ない女の子が子供を食べさせるために売春することになったり、仕事が無いのでドラッグを売らなきゃならなくて危険なことに巻き込まれ、死んでしまう子がいた。「そんな無念な人生ってあるかよ!」という感情をラップしていた。
#2へつづく
#2 なぜ日本の音楽アーティストは「パワハラ」「セクハラ」「いじめ」「虐待」といった社会的メッセージの発信が少ないのか?
文/Kダブシャイン












