江戸時代に世界水準の宇宙観を提示していた

彼は天動説・地動説という言葉を発明した。

西洋では地球・太陽のいずれが宇宙の中心にあるかに着目して、それぞれを地球中心説・太陽中心説と呼んでいた。空間の唯一の点である中心を地球あるいは太陽のいずれが占めるかを示すのだから、絶対的な視点からの呼称である。

これに対し、志筑の天動説・地動説という呼称では、どちらが動いているかを表しているだけだから、優劣がつかない相対的な視点と言っていいだろう。一神教の西洋では、中心を占めて動かない絶対神の位置を重視するのに対し、絶対的な神を持たず八百万の神が遍在する東洋では、どちらが動いているかに着目していると言えようか。西洋と東洋の視点の差異として興味深い。

後に述べるように、よく読めば志筑は地動説に旗を上げているのだが、それでは幕府や当時の人々の常識である儒教思想に基づく天動説に歯向かうことになるので、トーンを弱めて曖昧な表現に終始している。「此にて動とすれば彼にては静とし、此にて静とすれば彼にては動とす」というふうに、地球と太陽の座標変換の問題に過ぎないのだから、天動・地動の是非は論じられないとしたのである。

太陽系のみに限定して見る限りでは天動・地動のいずれでも同等であるのだが、さらに大きな宇宙の場で考えると地動説が正しい。宇宙全体を俯瞰すれば、不動の恒星が点々と宇宙空間に散らばり、その周辺を惑星が回っているという描像、つまり地動説の立場にならざるを得ないからだ。そのことを知りながら志筑はあえて述べなかったのであろうが、やはりより大きな観点からの議論を展開して欲しかったとは思う。