貧しい生活の家族を助けようと、単身日本に来たミカの姉

仕事を終えた夜、ミカを車に乗せ、姉の家に帰った。アパートに着くと、母がミカを泣きながら抱きしめた。奥の部屋には、ミカの姉が後ろを向いて座っていた。

ミカが奥の部屋に行くと、姉が「ごめんね」と泣きながらミカを抱きしめる。お互いに泣きながら話し合った。家族は再び元に戻った。

「ごめんね。あなたのことは大事な家族だからね。信じてね」姉は僕にも謝った。

僕もミカの姉を傷つけたのではないかとも思った。貧しい生活の家族を助けようと、単身日本に来たミカの姉は、日本に来てから何年もフィリピンに帰らず、家族のために送金を続けた。トイレもなかった家にトイレが付き、ミカたち姉妹は大学まで進学し、高級住宅街に家まで買った。姉は日本に来てから、自分のことよりもフィリピンの家族のことを優先した。

家族を支え続けた姉にとって、送金は単に数字の上でのことではなく、彼女自身の誇りでもあった。僕の「送金を止めろ」という言葉は、そんな姉の気持ち、誇りをも否定するものに聞こえただろう。

ミカやミカの姉の、家族を助けたいという想いに、日本で不自由なく育った僕は寄り添えていなかった。

「働かなくても暮らせるくらいで稼いだのに、全部家族が使ってしまった」祖国への送金を誇りに思っていたフィリピンパブ嬢が直面した家族崩壊_2

送ってもらって当たり前になる

送金で揉めるのはミカの家族だけではない。日本に出稼ぎに来たフィリピン女性の多くが似たような経験をしている。

家族を助けるために日本に来たフィリピン女性の中には、水商売が初めてどころか、人生で初めて仕事をしたという人も少なくない。日本語も、接客の仕方も、何もかもわからない中から、一つ一つ仕事を覚える。初めは給料も少ないから、フィリピンに送れる額も少額だ。だが、フィリピンの家族を助けたい一心で、節約しながら送金をする。

家族と離れ、1人で家族のために働く。フィリピンにいる家族は、はじめは少額でも彼女たちに感謝する。

日本で働く彼女らを気遣い「無理しなくていいよ」「体気をつけてよ」「早く会いたいよ」と言葉をかける。本心から、そう思うのだ。

それが毎月送金を受けるようになると、お金を送ってもらうのが当たり前になる。

「私もお姉さんからお金を送ってもらっていたから、フィリピンの家族の気持ちがわかる。初めはありがたいなと思うんだけど、だんだん、送ってもらえなかったら『家族』はどうやって生活するの? って思うようになる」

ミカも姉の送金で生活していた時期があったから、受け取る側の気持ちもわかる。やがて仕事にも慣れ、チップをもらえるようになり、マネージャーとの契約が終わり、フリーとして働けるようになると、送金額も大きくなる。

送金の使い道も、電気代、水道代、食費と必要経費だったのが、生活水準が上がるにつれ、車のローンや大学の学費へと変わってくる。

毎月大きな額を送ってくれる日本で働く娘は、さぞ日本で成功しているのだろう、とフィリピン側の家族は思うようになる。