見直される侮辱罪の法定刑

そんななか、2021年秋、ネット上での誹謗中傷対策の一環として、侮辱罪の法定刑を見直す動きが始まった。現在、侮辱罪の法定刑は、拘留又は科料とされる。拘留とは「一日以上三十日未満」の身柄拘束(刑法16条)、科料は「千円以上一万円未満」の財産刑だ。

法務大臣の諮問機関である法制審議会で検討された結果、法定刑引き上げの方針が示された。2022年3月8日には、内閣が、侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案を国会に提出することを決めた。法定刑は、「一年以下の懲役もしくは禁錮、三十万円以下の罰金」となるという。

この審議会で示された資料に侮辱罪の実態、まさに私が知りたかったことが記されていたのだ。これを見ながら、いくつか気になったことを書き留めておこう。

まず、どのくらいの有罪事例があるのか。

【侮辱罪の科刑状況】

法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回(令和3年9月22日)資料2よりhttps://www.moj.go.jp/content/001356048.pdf
法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回(令和3年9月22日)資料2より
https://www.moj.go.jp/content/001356048.pdf

これを見ると、科料は年間20件前後、拘留刑はゼロ件。判例集には載らないものの、それなりに事件化されているようだ。

「顔も便器みたい」で有罪例

では、どんな事例で有罪とされているのか。法制審議会には、2020(令和2)年中の侮辱罪のみで第一審判決・略式命令のあった事例を紹介した資料が出されている。いくつか例を挙げてみよう(罵詈雑言が苦手な人は、読み飛ばしてください)。

【20(令和2)年中の侮辱罪のみでの有罪事例】

事例A(科料9000円):インターネット上の掲示板に「○○(被害者名) 顔も、便器みたいな顔、ブスでぺしゃんこ」、「○○(被害者名)ぶす女」、「しゃべる便器みたいな顔してるやつがいる」などと掲載したもの。

事例B(科料9900円):インターネット上の掲示板の「○○(被害者経営店舗名)って?」と題するスレッドに、「○○(被害者名)は自己中でワガママキチガイ」「いや違う○○(被害者名)は変質者じゃけ!」などと掲載したもの。

事例C(科料9000円):集合住宅の郵便受けに「自分の愚かさを正当化する為に悪どい手段を用いて敵意を持った相手を陥れるために議事録の偽造,捏造でっち上げ等々でなりふり構わず,自分本位の行動をする」、「理事長は,自分の欲望を満たす為,○○(被告人名)を悪人に仕立て上げ活動を防止させて,自分の手柄の為理事長の地位を悪用し組合財産(理事会運営費等)を個人利益に利用し○○(被告人名)を中傷するビラを撒き自慢し得意になる人間はいかがなものか考てみよう?」などと記載した文書を投函したもの。

事例D(科料9000円):路上において、被害者に対し、大声で「くそばばあが。死ね。」などと言ったもの。

(侮辱罪の事例集・令和2年中に侮辱罪のみにより第一審判決・略式命令のあった事例より)
法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回(令和3年9月22日)資料3より
https://www.moj.go.jp/content/001356049.pdf

これらを読んで気になったことを3つほど。

第一に、侮辱罪と名誉毀損罪の区分けがどうなっているのか、気がかりだ。

侮辱罪は「事実を摘示しない」場合に成立する。事実を摘示して名誉を毀損した場合には、より重い、名誉毀損罪(刑法230条)という別の犯罪になる。

毀損事例Cは、マンション管理組合の理事長が被害者になっているようだが、ここでは「議事録の偽造,捏造でっち上げ等々」と事実を摘示しており、むしろ名誉毀損罪の適用対象ではないか。これ以外にも、資料には事実摘示を含むように見えるものがいくつかあった。

正当な権力批判を萎縮させる恐れも

第二に、権力者への正当な批判を委縮させないかが心配だ。

首相や大臣、国会議員に対し「○○はバカ」、「××は無能」といった評論を行うことはありふれている。これは形式的には侮辱罪にあたる。言われた側は、さぞ不快だろうとも思う。

しかし、表現の自由(憲法21条1項)の理念からすれば、権力者への批判は自由であるべきだ(これこそが、表現の自由を保障した最初の目的ともいえる)。また、国民のどれくらいが権力者に好感を持っていて、どのくらいが反発しているのかを可視化することは、民主政治を進める上で重要な要素となる。権力者への論評が犯罪になるのは、明らかに不当だ。

この点、民事法での損害賠償請求では、「公正な論評の法理」が適用される。首相・大臣や国会議員の活動など、「公共の利害に関する事実」への論評は違法とは認めない、という法理だ。

一般に、刑罰は人々の権利を大きく侵害するものだから、謙抑的(けんよくてき)に用いられるべきとされる。民事法で違法性が阻却されるような表現を刑事法で罰するのは、バランスが悪い。法制審議会でも、公正な論評にあたるような行為は、正当行為(刑法35条)などとして、侮辱罪を成立させるべきでないという意見が出されている。おそらく、裁判所も、同じ判断をすると見てよいだろう。

ただ、ここで困ったことがある。公正な論評の法理は、あくまで「事実」を評価する文脈で使われる法理だ。例えば、首相の言動に関するニュースがあり、それを紹介しながら「こんなことをするなんて、○○はバカ」と言えば、その言動への評論であることは明らかだ。これに対し、首相のどんな言動について批判しているのかを説明せず、唐突に「○○はバカ、無能、邪悪」などと言った時、「公正な論評の法理により、違法性なし」と言い切れるのかは疑問が残る。

だったら、「大臣や国会議員は侮辱罪の対象から外す」という条文を加えてみてはどうか。しかし、例えば、女性議員のツイッターアカウントに対し、ひどいセクハラを含むリプライを送り付ける、といった嫌がらせもあるようだ。そうした例を考えると、一切合切対象から外すというのも躊躇される。それに、「国会議員なら、一方的でメチャクチャな人格非難でも全て我慢しなければならない」なんてことになったら、国会議員になろうとする人はいなくなるだろう。

文脈からは前提事実がわからない評論について、何を基準に罰すべきものとそうでないものとを区別すべきかは、いまだ明確な結論が見当たらない。判例の蓄積に期待するしかない面がある。