自分の欲望を土台にし、そこから見たい世界を切り取っている

どれほど理性的な人であっても、根底には必ず動物の血が流れています。動物の血は、ときとして自分が生き延びるために人の命を奪うことまであり、それゆえ常に理性の血によってコントロールされなくてはなりません。

際限のない欲望、快楽、怒り、嫉妬、憎しみといったものは、動物の血がなせるものです。そうしたものがあるからこそ人間らしさも生まれるのですが、それがコントロールできないほど表に出てくるのは問題です。戦争は、その典型例とも言えるでしょう。

では、情報リテラシーと動物の血との間には、どのような関係があるのでしょうか。

先ほど、情報リテラシーを高めるには動物の血を律する必要があると述べたのは、自分の欲望に従って情報に接していると、偏った正しくない情報に傾く危険があるからです。

人間には本質として、自分が見たいものだけを見、知りたいものだけを知ろうとするという傾向があります。つまり人は、自分の欲望を土台にし、そこから見たい世界を切り取っているのです。

たとえば、株の運用益で生活をしている人が、政府の金融緩和策によって株価が上がり、大きな利得を手にすることがあれば、もしその対策に明らかな弊害があったとしても、その経済対策を全面的に支持するでしょう。

陰謀論にはまってしまう人に共通する、自分と似た考えの人が肯定するものは正しいと信じる「大きな勘違い」…人間は情報や知識を理性ではなく欲望のまま選ぶ生き物_2

自分の意見が多くの人から肯定されることで正しいものだと勘違いする

SNSの普及は、そうした脳の傾向に拍車をかけています。いわゆる「エコーチェンバー」という現象がそうです。

エコーチェンバーとは、SNSを利用する際、自分と似た興味・関心を持つユーザーをフォローし、次に自分から同様の意見を発信すると、また自分と似た意見が返ってきて増幅される状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものです。

ときには根拠のない陰謀論のように、自分の意見や思想が多くの人から肯定されることで、それが正しいものだと勘違いすることも起こります。エコーチェンバーによって、自分の意見や考えは揺るぎない正しいものとして固定されていくのです。

このように人は情報や知識といったものを、理性ではなく、自分の欲望に従って選びとる生き物だという認識を持つ必要があります。

たとえば、政治や社会の問題といったものが、一つの意見でまとまることはまずありません。必ずさまざまな意見や立場があります。そこには客観性を持って理性的に考える人がいる一方で、社会が損害を被ったとしても、自分の立場や利得だけを考えて意見を主張する人もいます。後者の場合、こう考えたほうが自分にとって得だというような、動物の血を優先しているわけです。

理性の血を忘れ、感情に任せて情報に接すると、それらに対して正しく向き合えなくなるのです。年老いた親がいつのまにか陰謀論を信じるようになっていて驚いたという話を耳にすることがありますが、加齢で自制心が弱まり、理性の血が動物の血に負けてしまったのかもしれません。

おかしな情報に振り回されないためには、幅広い知識や、ものごとをバランスよく見るセンスを身につけるだけでなく、動物の血をコントロールする術も身につけておく必要があるということです。