ヴァイオレンス編
〜G.I.S.M.、ハナタラシ〜
ここまでご紹介したミュージシャンのライブでは、客はステージから投げつけられる汚物を体に浴びることなどはあっても、直接的な身体的被害を受ける恐れはなかった。
一方で、ライブを見にいくだけなのに、怪我をしたり、最悪死ぬかもしれないという恐怖を感じさせるバンドも多くいた。
ハードコアパンク界隈では、ライブハウスでの喧嘩や暴力沙汰(バンドのメンバーと客が相乱れて)が日常茶飯事だったが、ここにご紹介するG.I.S.M.と、ノイズユニットのハナタラシのエピソードは特筆物だ。
G.I.S.M.
活動スローガンに“アナーキー&ヴァイオレンス”を掲げるG.I.S.M.は、いつも血生臭い噂が絶えないバンドだった。
ボーカリストの横山SAKEVIはライブとなると常に臨戦体制で、オーディエンスに暴行を加えることも多かったが、客もSAKEVIのヴァイオレンスを期待して集まっているので、不思議とバランスの取れた空気感だったのだろう。
ガスバーナーやチェーンソーを持ったSAKEVIが客席へ降りていき、客が逃げ惑う光景もG.I.S.M.のライブではお馴染みだった。
『ガスバーナーパニック』というタイトルで映像が残されている、1986年の中野公会堂ライブでは、SAKEVIが点火したガスバーナーで客を威嚇したことを危険行為とみなした主催者がPAで音を切り、ライブは強制終了。
映像の後半は、怒ったSAKEVIがミキサー卓の会場スタッフや「フライデー」の記者につかみかかったり言い合ったりする様が収録されている。
ハナタラシ
のちにボアダムスのフロントマンとして世界的に評価が高まる山塚アイ(EYE)が、1983年に結成したノイズユニット。
1988年頃の活動停止までの間、あまりに過激なパフォーマンスを繰り広げ、現在に至るまで“史上最恐”の名を欲しいままにしている。
ハナタラシでの山塚アイの行動をいくつか挙げると、チェーンソーで切り刻んだ猫の死骸を客席へ投げつける、ブロックや割れたビール瓶、大量の板ガラスを客に投げつける、ステージに持ち込んだ大量のドラム缶や金属スクラップをディスクグラインダーやチェンソーで切って火花を散らし、やはり客席に投げつける、鎖の付いた鉄球を振り回す、チェンソーを振りかざして逃げる客を追いかけ回す、挙げ句、振り回したチェンソーで自分の太ももを切って大怪我をする、などなど……。
演奏するのは即興のノイズだったので、それら地獄のようなパフォーマンスで発生する騒音や叫び声は、作品の一部だった。
ハナタラシのライブは、「当該コンサートの開演中にいかなる事故が発生し危害が加わろうと主催者側に何ら責任がないことを誓約いたします」という書面へのサインを、客に書かせていたことも有名。
1985年8月4日の都立家政スーパーロフトでのライブでは、持ち込んだユンボや道路カッターなどの重機や工具で大暴れし、会場の壁を破壊したり水道管を破裂させたりした。
重機から漏れて気化したガソリンの匂いが会場内に充満していたため、危険を感じた会場スタッフは、山塚が準備していた火炎瓶を大急ぎで隠した。
山塚は激怒して探し回ったというが、その機転のおかげで、会場内にいた200人の命が救われたという話は語り草になっている。
イギリスのインダストリーミュージックバンド、サイキックTVが1986年に来日した際には、ハナタラシがフロントアクトの一つに選ばれていたが、山塚アイがダイナマイトを持って会場入りしたため、出演は取りやめとなった。
さて、いかがだっただろうか?
1980年代のこれらのバンドの行状が、常軌を逸したものであったことは間違いない。
結局それが何を生み出したのかと問われれば言葉に詰まるが、ディストピアを地でいくようなパフォーマンスがアンダーグラウンドで繰り広げられていた、刺激的な時代が確かにあったこと、そしてそんなシーンを目の当たりにして地沸き肉踊らされていた人たちも確かにいたことをお伝えしておきたい。
ただ、それだけなのです。
文/佐藤誠二朗