JAGATARA

ボーカリストの江戸アケミ(1953-1990)を中心とするJAGATARAが活動を開始したのは1979年のこと。表記を含めバンド名をコロコロと変遷させるバンドで、最初期は「エド&じゃがたら」と名乗っていた。
ファンクやワールドミュージックの要素を取り込んだJAGATARAの音楽性は、当時も今も高く評価されているが、初期のステージングと曲調は、当時全盛期だったポストパンクの要素も多分に含んでいた。

江戸アケミは生来、照れ屋で生真面目な性格で、苦手なライヴでのMCを誤魔化すため、マイクに頭を激しく打ちつける自虐的パフォーマンスをするようになり、次第に過激化。生きたニワトリやヘビを食いちぎったり、フォークやカミソリで自らの体を切りつけたりするようになる。
自傷による出血が止まらず、救急車で病院に運ばれたこともあった。

前出のザ・スターリンの遠藤ミチロウは、こうした江戸アケミのパフォーマンスに影響を受けたと語っているので、元祖はこちらなのだ。
だが江戸の過激パフォーマンス時代は短く、1980年には音楽のみで勝負することを決意。“暗黒大陸じゃがたら”や“じゃがたら”“JAGATARA”とバンド名を変えながら、後世に残る数々の名作を発表した。

暗黒大陸じゃがたら(JAGATARA)のファーストLP『南蛮渡来』(1982)
暗黒大陸じゃがたら(JAGATARA)のファーストLP『南蛮渡来』(1982)

非常階段

1979年にJOJO広重を中心として京都で結成された非常階段は、日本を代表するノイズバンドとして世界に名を轟かせ、現在も活動を継続している。

初期のパフォーマンスは過激を極め、大音量のノイズと絶叫の中、排泄物、嘔吐物、ミミズ、納豆などが撒き散らかされたぐちゃぐちゃドロドロのステージ上を、メンバーが転がり回りながら演奏する、地獄のような様相を呈していた。

メンバーの一員として招かれたAV女優がステージで放尿し、その模様が雑誌に取り上げられたり、出演翌日の異臭たちこめる状況に嫌気がさしたライブハウスのスタッフが、全員辞めると言い出したりなど、当時の逸話には事欠かない。
同時期に名を成したザ・スターリンと並び、ライブハウスやホールから出入り禁止を喰らうようになると、1983年には同バンドと“スター階段”というユニットを組み、京都大学西部講堂で伝説的な過激パフォーマンスをおこなった。

1980年代中頃以降は、イベントとして特別に求められたとき以外は過激パフォーマンスをしておらず、一方でその音楽性が世界中で高く評価されるようになった。
今世紀以降は、他のミュージシャンやアイドルグループなどとの積極的なコラボ活動で話題になることも多い。

非常階段のファーストLP『蔵六の奇病』(1982)
非常階段のファーストLP『蔵六の奇病』(1982)