「今はバスケットにハマっています」

芸能界引退後、笠川はライターになり、大学野球などのスポーツ記事を書いた。

「高校、大学時代にマネージャーとしてリアルに頑張っている人たちを見てきて、そういう姿を世の中の人たちに知ってもらいたいという気持ちがありました。ずっと自分が携わってきた野球に関する記事を書くことに責任を感じていましたし、自分が実際に見て感じたことを正しく書けたと思います」

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ライターとして取材をする笠川

その後、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって住まいを東京から奈良に移し、恩師の原田英彦監督に請われて母校の龍谷大平安野球部の練習もサポートした。

「高校時代の3年間をひと言で言うと? とにかくつらかった……僕がチームの中で一番怒られたと思います。原田監督はもう60歳を超えられていますけど、そういう年齢になっても他人の子どもに対して本気で向き合っている。これってすごいことやと思うんですよ。厳しく接してもらい、監督から学んだことがたくさんあります。人生の誇りです」

後輩の指導のサポートをしているとき、友人に誘われてプロバスケットボールの試合観戦に行った。

「『Bリーグが面白いよ』と聞き、バスケットボール会場に足を運ぶようになりました。野球場と比べれば狭い空間ですけど、ビジョンが設置されて、音楽がガンガン流れる中で試合が行われていました。

ボールはずっと動いているし、選手同士が激しくぶつかるコンタクトスポーツでもあります。純粋に面白かったし、圧倒されましたね」

その感動をツイッターで書いたことで、笠川の人生が変わっていく。

「京都ハンナリーズの成績はよくなかったんですけど、勝利の瞬間を見届けようと思って追いかけるようになりました。当時の社長に『もっとチームのことを発信してよ』と言われて、取材させてもらうようになりました」

2022年5月、笠川はハンナリーズの一員になった。現在は、マーケティング部広報・興行(運営/演出)担当マネージャーとしてチームの魅力を伝えている。

「もともと野球部のマネージャーをしているときに、いずれはそういう仕事をするんやろうなと自然に思っていました。やっとチャンスが来ましたね。強いチームではありませんし、資本的にも恵まれているわけでもないけど、だからこそやりがいがある」

笠川が所属していた龍谷大平安高、立正大学からプロ野球に進んだ選手がたくさんいる。12球団で2000万人以上の観客を集めるNPB(日本野球機構)とBリーグでは人気面も注目度も違う。

「野球やサッカーと比べれば、プロバスケットボールはまだメジャーとは言えませんが、その分、選手たちはファンサービスに熱心に取り組んでくれています。

僕はバスケットボールの魅力をものすごく感じていますし、可能性を感じています。もっと人気が出ないとおかしいと思っているので、そのために働くつもりです。おかげさまで、少しずつメディアで取り上げられる機会も増えています」

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現在は京都ハンナリーズの広報としてチームを発信している
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1994年3月生まれの笠川はまだ29歳。自分だからこそやれることがあると思っている。

「マネージャーとしてチームを支えることも、百貨店で働いたことも、芸人として前に出ることも経験した自分のよさをどんどん出していきたいですね。芸人時代も楽しかったですけど、今はバスケットにハマっています」

取材・文/元永知宏
写真提供/笠川真一朗
編集/一ノ瀬 伸