たった一言、「ごめんなさい……」

「二人は、肩をぴったり寄せ合って何事か語りあい、時には、彼が彼女の頰に唇を寄せるような、仲睦まじいシーンさえ演じていたのである」(「フライデー」記事より)

この一件は明菜に大きなダメージを与えた。思いつめる性格だと関係者が口を揃える明菜だったが、その憔悴ぶり、そして情緒不安定ぶりが頻繁に報じられていく。

そして「フライデー』報道から5カ月ほど経った7月11日午後、明菜はカミソリで左腕を切り自殺を図る。場所は近藤の自宅マンションの浴室、そして発見者は近藤自身。その様子を当時の芸能誌「週刊明星」(1989年7月27日号/集英社)は臨場感たっぷりにこう報じている。

《(近藤が)ドアをあけ、室内に入ると、バスルームの洗い場に、うずくまるようにして倒れている明菜の姿…。
よく見ると左腕のヒジの内側あたりから、鮮血が吹き出している。
「どうしたんだ!」
駆け寄ってそう声をかけるマッチ。明菜は、その声に、たった一言、「ごめんなさい……」》

幸い自殺は未遂で終わったが、この事件を境に明菜は表舞台から姿を消した。そんな明菜が姿をあらわしたのは自殺未遂から173日後の12月31日の大晦日。都内ホテルには、明菜の“緊急復帰会見”として300人もの報道陣が集められたが、その会見は異様なものだった。

〈伝説のライブ映画公開〉中森明菜(57)、業界が今も語り継ぐ異様な“金屏風会見”とあの“事件”の真相。そして彼女は表舞台から姿を消した_1
当時の会見の様子。明菜が着ていたスーツは完売したとか(「週刊明星」1990年1月18・25日号より)

明菜のファンに対する謝罪から始まった会見だが、「近藤さんに、私よりもっともっと辛い気持ちを与えてしまいました」と近藤へのおわびと感謝を明菜が口にしたところで、なんと会場に当事者である近藤が現れたのだ。

泣きながら近藤と握手をする明菜。そして近藤は明菜とオープンな交際を続けますが、婚約などはまったく考えていないと明言したのだ。騒然とする会場だったが、その一部始終はテレビで生中継され、視聴率は19.7%にもなった。

さらに異様な要素は2人の座る席の背後にもあった。そこにはなぜか金屏風が置かれていたのだ。

「実はこの会見について明菜は、近藤との“婚約会見”だと信じ込まされていたとも言われています。それまでの明菜は記者会見が苦手で新曲発表でもほとんど出てこなかった。

しかし会見を開いて、けじめをつけないと復帰もできない。さらにこの会見は近藤のためでもあった。自殺未遂の原因は近藤ではなく、明菜を支え続けるとアピールする必要が近藤にはあったからね。近藤は会見でも明るく爽やかに、かつ男気を見せる演出を続けた。明菜をダシにして、実際は近藤がみそぎを済ませたかのような会見でしたね」(会見に出席していた芸能記者)

この会見が明菜にさらなる追い打ちをかけたことは間違いない。明菜はこの“復帰会見”後、しばらくは近藤と交際を続行したといわれるが、ほどなく破局。その後は芸能活動、私生活ともに迷走を続けることになる。

そこには、近藤との関係だけでなく、それ以前から、そしてその後もずっと明菜を翻弄し悩まし続けたいくつもの問題が横たわっていた。そのひとつが家族との問題、さらにトップ歌手・明菜の周囲を取り巻く関係者の裏切り、そしてまた別の男の存在だ。

〈伝説のライブ映画公開〉中森明菜(57)、業界が今も語り継ぐ異様な“金屏風会見”とあの“事件”の真相。そして彼女は表舞台から姿を消した_2
週刊明星 1990年1月18・25日号(集英社)
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〈マッチだけではなかった〉度重なるオトコたちの裏切り、家族との不協和音…それでもファンが明菜を待ち続ける“理由”とは… はこちらから

文/神林広恵