ポスト・フェミニズム的主体?
この意味で韓流文化を好む層には、フェミニズムからしばしば批判を受けてきたポスト・フェミニズム的な主体としての面を少なくとも垣間みることができる。ポスト・フェミニズム的主体とは、法的、社会的な変化によって男女差別はすでに基本的には解決されているとみなす者のことである。
女性が外で働くべきと強く考えるなど、もちろん韓流ファンがたんに反フェミニズム的な意見を持っているわけではない。ただし彼女たちが外で働きたいのは、自分が優れているという自信を持っているからであり、この場合、現実の社会に根強く不平等が存在していることは否認されるばかりか、むしろ自分の優秀さを示すための都合の良い舞台状況として暗に利用されている可能性さえある。
興味深いのは、以上の特徴において韓流ファンは、「日本のドラマや映画をよく見る」層や、「アニメを見るのが好き」な層としばしば対照的な姿をみせていることである。
後者の層は日本では女性の地位は低いとみなしながら、それに抗い女性は外で活躍すべきと強くは考えていない。こうした内向的な傾向を導いているのは、ひとつには自分に対する自信の少なさだろう。実際、これらのファンでは、容姿への満足や自分に対する自信は韓流ファンより低く、場合によっては平均さえ下回っているのである。
以上からみて、日本で韓流文化は勝ち組の文化として受け入れられていると、ひとまずはいえる。勝者がすべてを取るきらびやかな世界。韓流のスターや、または韓流ドラマのなかの主人公たちの成功は、ある種のモデルとしてそれを愛好する人びとを引き付けているのではないか。日本だけではない。
たとえばフランスでも、BTSのように非西洋人が世界的な人気を得ることに誇りを持つ人がアジア人にかぎらず存在しているといわれている(「Cicchelli,Vincenzo, Octobre, Sylvie, Raillard, Sarah-Louise, The Sociology of Hallyu Pop Culture: Surfing the Korean Wave」2021, Palgrave Macmillan)。
この意味では「韓流」はマイノリティ的人びとに成功を約束する文化としてグローバルに受け入れられているのである。
文/貞包英之