もう「お坊ちゃん」がコンプレックスではなくなった

数々の苦悩の末に「自分なりの経営ビジョン」を打ち出すことの重要性に気づき、同様の悩みを抱える仲間とお坊ちゃん社長の会を発足した田澤氏。名称にあえて「お坊ちゃん」を掲げたのにも理由がある。かつてはコンプレックスだった生い立ちを、今では肯定的に受け止めているからだ。

「昔は『お坊ちゃん』『2代目』という下駄を履かされていることに負い目を感じていましたが、いざ経営者になってみると、下駄でも履いていないと従業員を何十人も養っていけないなと(笑)。それに、ゼロから資金を集めるのと、すでに蓄えがあるのとでは、経営のスピードが全然違います。

だから僕はもう『自分の力だけで戦ってやる』『父親を超えてやる』なんて思いません。父親が築き上げた財産はありがたく活用させてもらって、その分僕は社会にとって価値がある事業をやります。

『お前は金があっていいよな』と憎まれ口を叩かれても、今は気になりません。『はい! なので、頑張らせていただきます!』と答えるだけです」

では、かつて仰ぎ見ていた父との関係に変化はあったのか。田澤氏は「激変しました」と答える。父は80代を迎えた今も現役で、田澤氏とともに経営の舵を取る。そして、いつからか田澤氏を「弱々しい2代目」ではなく「一人の経営者」として捉え、対等に接するようになったそうだ。

実家が太いからって人生甘くない。2代目お坊ちゃん社長がかつて苦悩した「絶対的な父親」との関係_3
すべての画像を見る

「関係性は昔と全然違います。物の言い方ひとつにしても相当変わりました。僕を一人の経営者として見ている証拠なのかなと。だから、これからは父親とコミュニケーションを取って、経営者としての知恵をもっと学んでいきたいですね。僕のビジネスの師匠ですから。吸収できることはまだまだあるし、そうすれば僕もさらに成長できるでしょう。それが今後最も力を入れたいことですね」

しかし、2人の会話はもっぱら経営の話題ばかり。プライベートな会話や家族の思い出を振り返ることは皆無だ。

「父親も創業者と後継者という構図を崩したくないんでしょうね。それは僕も同じで、それほどプライベートな会話をしたいとは思わないです」

一般的な家庭円満とはかけ離れた、冷めた関係にも思える。しかし、田澤氏にとっては、数々の苦悩を乗り越えた末にたどり着いた、自分なりの父との向き合い方なのだろう。父との関係を語る田澤氏の表情に「お坊ちゃん」時代の頼りない面影は、微塵も残っていなかった。


取材・文/島袋龍太

#1「2代目はつらいよ! 全国から2代目社長が集う「お坊ちゃん社長の会」から知る後継者のビジョン経営とは」はこちらから