壮絶ないじめ それでも処罰されなかった理由

「(爽彩は)過去に壮絶ないじめを受けていた」と爽彩さんの母親はメディアに明かしている。「旭川いじめの事件」の詳細は2021年4月21日以降「文春オンライン」が報じ、世間に大きな衝撃を与えた。

「『文春オンライン』でも報じられていますが、以前の爽彩さんはよく笑って外にもしょっちゅう出かけるし、勉強も好きな子でした。それが学校にも塾にも行けなくなってしまった。自室に引きこもったきり、『ごめんなさい、ごめんなさい』、『殺してください』などと独り言を言うこともあった。絵が好きで以前はカラフルな明るい絵をよく描いていたのに、いつの間にかモノトーンの暗い絵ばかりを描くようになってしまった。全ては中学に入学してからのことです」(親族)

〈行方不明から2年〉「裸の動画送って」「写真でもいい」“旭川いじめ事件”とはなんだったのか…支援者・親族の証言とともに振り返る“これまで”と“もうひとつの旭川事件”とは?_3
爽彩さんが描いた絵 

廣瀬爽彩さん(当時14歳)が遺体となって見つかってから1年半が経った2022年9月20日、第三者委員会は、性的ないじめ、深夜の呼び出し、おごらせる行為など、中学校の先輩7人が関与した6項目をいじめと認定したが、自殺との明確な因果関係は認めなかった。

「第三者委員会が提出した最終報告書では『社会通念において、いじめとして認められるものだけいじめとして認定した』と記している。その結果、クラスメイトから爽彩さんが受けていた嫌がらせなどについては、いじめと判断するにはあたらないと結論づけました。ですが、爽彩さんは亡くなる直前までいじめで悩んでいた」(母親の友人)

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幼い頃の爽彩さん

「裸の動画送って」「写真でもいい」「送らないとゴムなしでやるから」

「中学入学後に出会った年上の少年が、爽彩さんに対し、執拗に自慰行為の動画や写真を送るよう要求したのがはじまりでした。普通なら無視をすればよいだけのことですが、当時まだ12歳だった爽彩さんは怖さのあまり、自慰行為のわいせつ画像を少年に送ってしまった。
動画は拡散され、爽彩さんに対する“いじめ”へと発展した。助けを呼ぶこともできず、爽彩さんは要求に従うほかなかったと聞いています。
自暴自棄になったのはこの事件の直後から。年上のグループからのいじめに対しても抵抗するどころか『もう好きにして』『わかった』と投げやりに答えるだけだったといいます」(前出・支援者)

精神的に追い詰められたのだろう。同年6月22日には爽彩さんはA子ら10人ほどのいじめグループに取り囲まれ、公園の前を流れるウッペツ川沿いの土手で事件は起きた。

「いじめグループから『わいせつ画像を全校生徒に流す』、『死ね』と言われ、爽彩さんは『わかりました。じゃ、死ぬから画像を消してください』と懇願したそうです。すると、『死ぬ気もないのに、死ぬなんて言うなよ』と煽られ、爽彩さんは歩道橋の柵を乗り越えて土手に下り、ついにウッペツ川へと飛び込んだ。いじめグループから逃れるためにはそうするしかなかったのでしょう」(前出・支援者)

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爽彩さんが通った中学校

ウッペツ川での“いじめ事件” は川に飛び込む直前に爽彩さんが学校に電話をしていたことからすぐに教師が駆け付けた。また、イジメの一部始終をみていた近隣住民が110番通報し警察もかけつけている。ウッペツ川での事件当日の夜、爽彩さんの母親が電源を入れてLINEアプリを開いたところ、上級生によるいじめの書き込みやわいせつ画像が残っており、いじめの実態が明らかになった。

事態を重くみた旭川署がいじめグループ全員を聴取したことは言うまでもない。しかし、わいせつ画像を送ることを強要した少年の年齢は14歳未満であるため刑事罰が問えず「触法少年」となり、厳重注意となった。他のいじめをした少年少女たちも強要罪として立件するには証拠不十分とされ、厳重注意処分だけで終わってしまった。