野宿者生活の実態を知ってイメージが激変

「西成差別」の次のテーマは、「野宿者」だ。釜ヶ崎といえば、路上生活者をイメージする人も多い。彼らもまた、「汚い」「脱落者」と社会から差別される存在だ。

11月24日の授業は1年生全員が視聴覚室に集合し、釜ヶ崎周辺で野宿者の支援をしている「野宿者ネットワーク」の生田武志と、西成公園で16年間、野宿をしていた坂本寛の話を聞く時間となった。

肥下はここでも敢えて生身の人間を通して、貧困の究極として野宿者のありようを生徒たちに直視させようとしていた。

生田は大学生の時、釜ヶ崎の夜回り活動をテレビで見たことをきっかけに夜回りに参加、以降36年間、日雇い労働をしながらボランティアで、野宿者の支援活動を行なっている。

夜回りとは、主に冬に野宿者が凍死しないよう温かい食べ物や下着、カイロなどを配りながら、野宿者それぞれの状況を確認していく活動だ。

生田はこの活動を通し、実際に目にした野宿者の姿を語る。アルミ缶を1個売れば2円、10時間かけて1000個探しても2000円、時給に換算したら200円。今や野宿は全国に広がり、真冬の札幌でもマイナス12度の中、駅の周りには120人が野宿し、寝ると死んでしまうため24時間営業のドン・キホーテを歩き回る姿がある。

釜ヶ崎の日雇い労働者が行なっていた日雇い・派遣労働は、今は全国的に非正規労働者が担う労働形態となり、最近では虐待や貧困などで、家庭からはじき出された若者の野宿者が増えている。

そして野宿者に向けられる、襲撃という暴力行為。そのほとんどが10代の若者によるもので、殴る蹴るだけでなく、目玉をナイフで刺し、ガソリンをかけ火をつけるというケースもあった。

野宿生活を16年送った坂本は、今年57歳。今は生田の支援のおかげで生活保護を取り、アパートで暮らしている。坂本も家庭からはじき出された若者だった。15歳で何もわからずに働き始めた飲食店は時給420円で、1日15時間半の長時間労働。これでは身体が持たず、かつ暮らせるわけがなく、24歳で日雇い土方に。バブル崩壊で仕事が減り、家賃を払うことができずに路上生活へ。一日中アルミ缶を集め、700円の日銭を作り、バナナと食パン、コーヒー牛乳とタバコ1箱を買う。「棺桶みたいに作った」段ボールハウスで深夜2時、中学生2人から鉄パイプで襲撃されたこともあった。

この日は1年生全員が集合して大勢だったので、一部はざわざわしていたが、多くの生徒たちは熱心に話をメモしていた。そしてこの日の感想には、「見方が変わった」という想いが綴られていた。野宿者のことを知らなかったから怖い存在だと思っていた生徒が、正面から野宿者のことを考えて得た思いは、「あんなふうになってはいけない」「目を合わせるな、危ない」などという社会の偏見とは、真逆のものだった。

「野宿している人達ってなんだかおっかないイメージがありましたが、今日の講演を聞いてイメージが変わりました。僕が思っているより野宿している人たちは普通の人でした。なのに、ちょっと運が悪かっただけで、あんなに大変な思いをしなければならないのは、すごく理不尽だと思いました」

「普通に生活している自分達が、野宿している人たちを悪く言っていることがすごくダメなことだと思いました。野宿は人によっては不潔だとか思われている。けど、野宿をするには何かがあってそうなっていることを、みんな、知らないといけない」

「同じ人間のはずなのに、『ホームレス』というだけで、ここまで差別されるのはおかしいと思った」

そして、野宿者への襲撃という行為を初めて聞いたことへのショック。

「なぜ、何もしていないのに目を刺す、オイルをかけて燃やす、段ボールハウスを壊すようなことをしたりするのか、意味がわからない。最低なことを、なんでするんだろうと思いました。坂本さんはこんなに辛い思いをして、でも頑張って、今、生きているのがすごいと思いました」

「聞いていて声に出してしまうほどびっくりすることもあったし、とても悲しい気持ちになりました。自分も一時保護所とおばあちゃん家に住めなかったら、万引きしながらもアルミ缶を売っていたのかなと思いました。寝ている最中に蹴ったり、追い出したりがとてもひどく感じ、人間不信になってしまった気持ちも理解することができました」

この感想を書いた彼女はまさに、当事者と紙一重の思いを持つ人間として話を聞いていたのだった。そんな生徒がどれだけいたのだろう。自分も何かしたいと、駆られるような思いを持つ生徒も多かった。

「印象に残った話は外国人やホームレスの人を差別している人がいたこと。言葉や考えは違うかもしれないけれど、差別は絶対にダメということ。私も困っている人がいたら、積極的に助ける。口よりも行動を起こすことが大事だということを学びました」

「自分も将来、アルバイトとかクビになったりする可能性がゼロではないから、野宿者支援のことも頭に入れようと思った。ボランティアで36年間も支援できてすごいと思った。自分もホームレスの人に限らず、いろんな人の役に立てる人間になれるよう、頑張りたいと思った」

1学期のシングルマザーの学習でも感じたが、この子たちの視点に「自己責任」なるものが全く出てこないということが改めて驚きだった。生徒たちは事実を真っ直ぐに見つめ、そして自分なりに野宿者が差別され、襲撃の対象とされることへの「おかしさ」について考えている。いろいろな理由があって野宿せざるを得ない人間がいること、誰もが野宿しないで生きることができる社会になるべきであることを自分なりに考え、感想に綴る。

生身の現実、事実を正面から知っていく行為には、「偏見」や「決めつけ」といった“色眼鏡”は混じらないのだと、生徒の感想に思う。「差別」や「偏見」は、何かを捻じ曲げて作られるものなのだと思わざるを得ない。

学校の先生もテレビも「西成を差別と偏見の目で見ている!」と憤る生徒たち_3
校内に掲げられている掲示板。生徒たちを励まし続ける学校側の姿勢があちこちに。「定期テストをなくした」「9時半登校はじめました」については次回、校長の山田勝治に話をうかがう
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反貧困学習を主導する肥下は、この学習を通して生徒たちへ強く伝えたいものがある。

「自分達が自分達の生活を振り返って、この社会のおかしさに気づき、それを自分や自分の親の責任にするのではなく、自分達を含めてより生きやすい社会にするために、社会がどうなって行ったらいいんだろうと考えて、行動できるようになってほしい。社会にどう適応していくかなのではなく。今の教育はグローバル社会に適応とか、適応することしか考えていないけれど、それは本当に正しい方向なのかを問わないと」 

この授業が知識を問う単なる「穴埋め」だったら、自分には関係ないと、生徒たちはどんどん興味を失って、寝ていくと肥下は言う。自分につながる問題だからこそ、熱心にメモを取り、自分なりにその問題について生徒たちは考えていた。そうやって寄せられた一人一人の想いが伝えられた感想には、まさに反貧困学習の成果が現れていた。

部落差別も西成差別も野宿者差別も、とにかく差別はおかしい、無くならないといけないものだと、どの生徒も憤りと共に強く感じていた。「昔の人は偏見で決めつけ」という思いも多く見られ、彼らこそ、これらの差別を変えていける「主体」になるのではという予感が湧いてくる。

後編では2学期最後の「西成学習のまとめ」の様子と、「実験的な新しい学校づくり」に取り組む、山田勝治校長のインタビューをお届けする。

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