受験エリート内の「劣等感」のことも考えたい

――宿題時間が長いのが将来の大学受験に効いてくるであろうこと以外の、生徒本人の主観的な楽しさは、中学に進んで1年程度では、中学受験組と公立組で大きな差はそれほどないのかなと感じます。今回の分析結果を教育政策に活かすとしたら、たとえばどういうことが言えそうですか?

 私が気にしているのは自己肯定感についてです。受験などを通じて競争的な環境に置かれると、当然ながら勝つ人/負ける人が出てきます。たとえば、最近出た中国のエリートの研究結果では、北京のエリート層(都市部で年収が上位1割の家庭の生徒)は中国全体から見れば屈指の存在なのですが、その中ですら一部の最優秀な層は勉強時間が少なくても成績が良く、他のさまざまな技能にも優れており、勝者/敗者に分かれます。

すると、その集団で下位にいる存在は、国という単位で絶対的に見れば十分に「できる人」のはずなのに、自分の身の回りの人たちと比べることで「相対的剥奪」の状態に陥り、劣等感を抱いてしまう。中学受験を経て中高一貫校に進んだ人たちも、小学校時代より成績が落ちる傾向があり、主観的な満足度が停滞している項目もあります。本当は、生徒一人ひとりにいろいろな能力があるはずなのに、学力という一つの基準で、日本全体で見れば優秀な部類に入るにもかかわらず劣等感を抱いてしまっているのであれば、人材育成という観点から見てもったいないのではないかと。

むしろ今回の結果から見えるのは、一般的な公立中学に進学した場合でも、中1時点で学業や学校生活の面で受験組とそこまで大きな違いがないということです。そのことから、政策的には今後も引き続き、公立学校を支える教員や財政への投資を減らすことなく、社会の公共的基盤を支えていくことが大事だと思います。

――これから子どもが中学受験に臨む、ないしは臨もうか迷っている保護者に対して何か伝えたいことはありますか?

 保護者に対しても同様のことが言えます。もし振り回されているような感覚があるのであれば、「中学受験した子の中で比べたり、学校内で成績を比べたりしても、狭い集団の中の話ですよ」と。世界には多様な価値観や能力を持った人たちが存在しています。今いる集団の中で比較して一喜一憂するのもわかりますが、お子さんはこの先の長い人生の中で、どんな集団に属して、どんな才能を発揮するのかわかりませんから。

取材・文 飯田一史