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トランポリン選手からB-Boyへ。姉の影響で始めたブレイキン

北海道で生まれ、大阪で育ったShigekix。

「子どもが夢中になれるものを探したい」という親の思いがあり、スキーやテニス、水泳、英会話など、小さいころからさまざまな習い事に取り組んできた。

なかでも、 トランポリンはクラブチームに所属するほど本格的に練習していたという。並行してダンスも週1回、スタジオのレッスンに通っていたそうだが、トランポリンの活動が主であり、ダンスはあくまでほかの習い事のひとつに過ぎなかった。

トランポリンの大会で表彰される、5歳のShigekix
トランポリンの大会で表彰される、5歳のShigekix
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そんなShigekixに契機が訪れたのは6歳のとある休日。
いつものように、体育館でトランポリンを練習しているときだった。

「クラブチームの練習場所だった体育館では、土日だけトランポリンを一般解放していました。そこに、偶然B-Boyがアクロバットの練習をしに遊びに来ていて、『よかったらブレイキンをやってみないか』と誘われたんです。そこから、まずはじめに姉のAYANEがB-Boyの練習場所に行って、ブレイクダンスを始めたんですよ」(Shigekix、以下同)

姉のB-girl・AYANEさん(右)も日本を代表するダンサー
姉のB-girl・AYANEさん(右)も日本を代表するダンサー

トランポリンに来ていたB-Boyがブレイキンを練習していた場所は、OCAT(大阪シティエアターミナル)の地下1階にあるポンテ広場。今でもストリートダンスの聖地として知られる定番スポットだ。

AYANEは、年上の大人に混じってブレイキンをやり始めると、いつしか熱が入ってきて、気づけばブレイキンのおもしろさにどっぷりと浸かっていた。

Shigekixさんも、姉の練習する姿やショーケース(発表会)に出て踊る様子を見ているうちに感化され、7歳でブレイキンを始めることになった。最初は父からタオルを借りて、チェアー(ブレイキンの基礎となる王道フリーズ)や三点倒立、ヘッドスピン(頭で回る技)など、先輩の動きを参考にしながら、見よう見まねでスキルを磨いていったという。

「その当時はダンススタジオの数も少なければ、ブレイキンをやっているキッズもほとんどいない状況でした。そのため、ブレイキンを始めてから最初の1年くらいはストリートに通って、ひたすら独学で練習漬けの日々を送っていましたね。

トップロック(立ち踊り)やフットワーク(床に手をついて足を動かす動き)、フリーズ(体の動きを止める決めポーズ)やパワームーブ(手や頭、背中などで回る大技)など、ひとつひとつの動きを覚えていくのが、まるでゲームをクリアしていくような感覚で。『もっといろいろな技ができるようになりたい』という好奇心が強かったので、できない技があれば習得するまで夢中で練習に励んでいたのを覚えています」