ラジオの深夜放送が大ブームとなった1960年代後半

午前零時、ラジオのスイッチを合わせる。

ジェット機の離陸音と航空無線の交信が聞こえた後、「ジェットストリーム……」というアナウンス。フランク・プゥルセル楽団の『ミスター・ロンリー』が始まると、「遠い地平線が消えて……」と印象的なナレーションが綴られていく。

夜間飛行へと誘うパイロットの声は城達也。

番組で流れるのはイージーリスニングと呼ばれるインストゥルメンタルのムード音楽。数曲耳を傾けていると、今度は世界中の街や情景を描写した詩が綴られる。そして再び音楽に戻っていく。

エンディングのナレーションが流れるころ、時刻は深夜1時前を指している。『夢幻飛行』とともに、聴き手は暗闇とゆっくり溶け込むように眠りに落ちる。今夜も夢の中で旅人となりながら……。

城達也さんが“機長”を務め、堀内茂男さんが台本を書いていたころの『JET STREAM』が好きだった。

そこにはロマン、ダンディズム、イマジネーションの世界がどこまでも広がっていた。あの声や言葉があったからこそ、唯一無二の存在になった。ベッドの中でも車の中でも一日の終わりをそっと実感した。たまたま耳にしたときほど、そう思った。

耳障りで無駄なフリートークが一切なく、話し手や書き手の顔もよぎらない『JET STREAM』は、どこまでも心地よかった。

27年で7387回“フライト”「機長としてのイメージを損ねたくない」と顔の見えるTV出演は断り続けたラジオ『JET STREAM』の城達也に、美学で応えた男たちのルール_1
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パーソナリティ選出に半年…抜擢された声優

始まり──。
それは日本が高度成長期の真っ只中。海外旅行の自由化が起こり、ラジオの深夜放送が大ブームとなる1960年代後半のこと。

当時の日本航空の宣伝課長・伊藤恒氏は、シカゴ駐在員だったころに愛聴していたアメリカン航空提供のFM番組『Music 'til Dawn』(1953〜70)のように、日本航空でも海外旅行を促進するような同様の番組を作れないかと考えていた。

奇しくも同じころ。
日本初の民放FM放送局であるFM東海(東海大学のFM実用化試験放送局)の当時の営業部長・後藤亘氏(エフエム東京・名誉相談役)は、「日本人が世界に旅立ちたいという想いを幾多の人に伝える、イメージの世界で旅のできる番組を作りたい」と企画に取り組んでいた。日本航空に持ち掛けると、両者の想いは合致。

番組タイトルが『ムーン・ライト・ハーモニー』から『JET STREAM』に正式に決まると、パーソナリティ選びに半年間を掛けた。

この男の声しかない。抜擢されたのは洋画の吹き替えなどで活躍していた声優、35歳の城達也。そして1967年7月3日。『JET STREAM』はFMラジオ初の深夜放送として最初の“フライト”を実施する。