小児癌の兄は10歳で片目を失った

話を聞いた際、時折伯父が発する言葉「天命」。それは山上家の家訓だという。

「A子にとって、自身の母親(徹也の祖母)が支柱だった。母親が亡くなって防波堤が崩れたことによって、親父さん(徹也の祖父)との関係もおかしくなり、弟(徹也の父)も死んでしまい、統一教会にはしったんです」

愛する母親、そして、夫を亡くし、5歳、4歳、そして、まだお腹の中にいる子ども、3人を支えて行くにはあまりにも過酷だったという。

それは山上容疑者のツイッターにも記されている。

〈オレは作り物だった。父に愛されるため、母に愛されるため、祖父に愛されるため。病院のベッドでオレに助けを求める父を母の期待に応えて拒んだのはオレが4歳の時だったか。それから間もなく父は病院の屋上から飛び降りた。オレは父を殺したのだ〉

そして、A子をさらなる窮地に追い込んだのが、長男の病であった。山上容疑者の一つ上の兄が、小児癌を患ったのだ。幼子3人の育児に加え、そこに追い打ちをかけるように、長男のケアが必要となった。

山上容疑者の母への枯渇した愛情がツイッターにも鮮烈に記載されている。

〈三人きょうだいの内、兄は生後間もなく頭を開く手術を受けた。10歳ごろには手術で片目を失明した。障がい者かと言えば違うが、常に母の心は兄にあった。妹は父親を知らない。オレは努力した。母の為に〉

〈安倍元首相襲撃事件から約半年〉山上徹也叔父が今だから語る“あの日”の出来事。「兄はろくに治療費も受けられなかった」「家をでた母は妹にゴメンとつぶやいて…」統一教会のせいで家族はバラバラに…_3
山上容疑者とみられるツイッター

母の死、夫の自死、幼子3人の育児に、子どもの病、一人の女性が背負うにはあまりにも残酷な人生だった。

徹也を追い込んだ兄の自死

「A子 統一教会へはしる」
1994年8月、伯父の妻が残したメモには、こう記載されていた。伯父は自身が支援していた生活費が統一教会に流れている事実を知り、資金援助を一時打ち切ったのだ。その後、伯父はA子が、夫の生命保険金の6千万円を統一教会に献金していたことを知る。

「98年には、A子の父親が亡くなり、相続した土地や家を売り払って、さらに約4千万円を献金した。合計約1億円を、統一教会につぎ込んだんや」

伯父が、旧統一教会とA子の印象深かった過去をこう吐露する。

「2004年のときやったかな、家に食べ物がないって言うて、徹也から電話かかってきたんですよ。急いで、にぎり寿司と未払いの電気代等の10万円もって、家内とかけつけましたよ。家内が、冷蔵庫あけたら何もはいってない。A子が韓国行って帰ってこなかったんですわ。それから、仕送りと一緒に缶詰送るようにしたんです」

家庭が崩れていく中で、山上容疑者はそれに抗うように必死に生きようとした。県内有数の進学校に通っていたが、経済的困窮に陥り大学を断念。専門学校に進学した後、2002年海上自衛隊に入隊。しかし、2005年、ここで、自殺未遂を起こす。その理由は「兄と妹に保険金を渡したかったから」。保険金の受取人を母から兄に変更し、懸命に家族を支えようとしていた山上容疑者の姿があった。

「子どもが自殺未遂を起こしているのに、A子は韓国に行って帰ってこなかった。
当時、徹也だけは、私の母と一緒に住んでいたのですが、2005年の正月に兄と妹の困窮ぶりを知って、その後、配属先の広島の呉で、自殺未遂を起こしたのです。

徹也は、『統一教会は俺の人生を壊した』。『妹も兄も生活できない状況や』と。『自分の生命保険でお金を払ってやりたい』と言うてました。自殺未遂後、徹也をうちで引き取ろうかと思ってたんですが、ちょうど家内が体調を崩して難しかったんです」

懸命に生きようと、家族を再構築しようとしていた山上容疑者は、ファイナンシャルプランナーなどの資格を取得するが、さらなる不幸が襲う。2015年、兄が自殺したのだ。

「ちょうど自分も癌の手術で寝込んでいて。徹也の兄から病院入るし、ついてきてほしいと連絡あったけど、動かれへんかった。病院についてきてほしいというのは、治療代を払ってほしいってことやったんです。結局、ろくに治療も受けられへんかった。その後、自殺してもたんです。
どっかの記事で、徹也の兄が、精神喪失して私に包丁を向けたとかありましたけど、それは大きな間違いです。徹也の兄は私にそんなことしてません」

皮肉なことに、幼少期の兄の卒業文集には将来の夢に、“大統領”と記載されていた。

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幼少期、兄が文集に書いた自画像

「直接、そういったことは聞いてませんが、徹也もそうですけど、徹也の兄も本当に頭が良かった。東大を目指してましたから。部屋には、哲学の本や、東大入試の参考書もありました。徹也の兄は、病気のために外にでることもなかなかできませんでしたから、勉強しかなかったんですよ」

しかし、病は兄の身体を徐々に蝕み、生きる渇望を喪失させていった。
唯一の理解者であった兄を亡くした山上容疑者は、狂気へと突き進んでいく――。