元々は緩い集まりで、映した映像のデータベース化が活動の始まりに。

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_7

──『理大囲城』を見ていると、学生たちの行動が、X地区、Z地区とか大学内に区分けがあるような発言がありましたが、撮影をしていた人たちはどういう役割分担だったんですか?

「元々、このグループ自体、緩い集まりで、理大に入る時、撮影者はみんなバラバラで入っていたんです。なので、誰がここを担当とか、撮影でどこそこに行かなくちゃいけないとか、今日は何を撮ろうという打ち合わせは一切していませんでした。お互い、以前から顔見知りで、理大で籠城する中、互いに顔を見て、“あ、いるな”と認識し、そのあと、話をして、みんなで映した映像を集めて、データベースにしようねという話をしたのが始まりです。今、この組織はグループとなっています」

逮捕された人とレンズ越しに目が合って、自分は何をやっているんだと葛藤した。

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_8

──今日、みなさん、何人そこにいらっしゃるかはわからないのですが、どなたか、カメラを回している時に、カメラを持つ手が震えるぐらい、怒りや理不尽さを感じたシーンがもしあったら、ぜひ教えてもらえますか。

「自分はデモが始まって理大まで半年くらいカメラを回していたのですが、同時にそれは、毎日のように逮捕される人を撮影してきた日となります。ある時、目の前で警察に逮捕された人がいて、地面に押さえつけられました。

私は静かにカメラを見てたんですが、レンズ越しに、その人と目が合ってしまった。その瞬間、“今、自分は何をやってるんだ。目前でこういうことが起きて、何もできない、むしろなんで何もできないんだ。なんかできるはずなのに、何もできないだ”という葛藤がすごくて……。それまで撮影の際は、常に現場に飲まれないように1歩引いた視点で撮影していたんですけど、あの瞬間、猛烈な無力感を抱きました」

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_9

──みなさんのやっていることは、むしろ10年後、50年後、100年後、記録、アーカイブということで非常に重要性を増すお仕事なので、今の段階で何もできないと葛藤される気持ちはとてもよくわかります。

「もうひとつすごく印象に残った瞬間があります。理大が包囲されたとき、警察の防衛線を突破して、一瞬、逃げ出た人もいたんですが、と同時に警察にばんばん逮捕されていって、ほとんどの人が逃げることに失敗したんですね。その光景を、私を比較的、建物の高いところから撮影していたんですけど、警察官がいっぱい待ち受けている中、草むらに一人隠れていた人がいることに気づいたんです。望遠レンズを持つ手も心も震えちゃって、どうしよう、どうしようと、その人が10分、20分、とにかくじっとしている姿をじっと見つめていました。

その後、ようやく警察が一端、撤退したので、すぐにその男性のところに行って、“もう警察はいなくなったよ、でも、あそこと、あのエリアにはまだいるから、逃げるか、大学内に戻るか、自分で決めて”と小声で伝えると、構内に戻っていきました。カメラマンは本来、学生側でも、警察側でもなく、中立の立場でいなくてはいけないのですが、何もしない、何もできないということに対してひどく無力感を持っていたので、声をかけてしまいました」

高校生を助けようとした校長たちの行動の余波とは

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──この『理大囲城』は2021年10月に山形ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞し、以後、世界中の映画祭で上映されています。また、2021年の東京フィルメックスでは、同じく香港民主化デモならび、香港理工大学包囲事件に参加していた若者たちにインタビューをした『時代革命』(周冠威監督)も上映されています。

どちらの作品でも、警察の包囲が長引き、理工大学から出られなくなった学生たちを案じて、高校の校長先生たちが助けに来る場面が出てきます。最終的にはこの事件では、デモ最多の1377人の逮捕者が出て、彼らには暴動罪として長い懲役となる可能性があった。それ以前に、収監中、警察にレイプされた女性がでるなど、どういう扱いになるのかわらかない。校長先生たちは、高校生だけでもと交渉しにくるのですが、そこで籠城していた若者たちの間に残るか、出ていくのか分断が生じ、その緊迫したやり取りに胸が引き裂かれそうになりました。

あの瞬間は、カメラを回しながらどう感じていらっしゃいましたか?


「校長たちが高校生を家に連れ帰りたいとやってくるシーンは、本作においてクライマックスになっていますが、あの校長たちは本当は朝からずっと、大学の門の外で待っていて、どのタイミングで中に入ってくるのかというのがすごく重要だったんです。警察側は、警察の防衛線を学生たちが突破して逃げようとした動きを阻止して、学生たちが失敗した直後に、警察が校長たちを中に引き入れたんです。

校長たちは警察にうまく使われてしまうことまで想像していなかったんでしょう。校長たちは生徒たちの命の安全性をもちろん最優先に考えて動いたわけですが、大学から出て、家に戻る条件として、IDカードと名前と顔を警察に記録として残すという警察側の戦略に、校長たちが加担してしまうことになってしまいました。

私は、こういった校長たちの行動が結果として、学生たちに心のダメージをひどく与えてしまった、その問題が大きかったのではないかと考えます。それまでひとつになって、一緒に戦ってきた仲間たちなのに、校長たちが警察としてしまった交渉や、助かる条件のために、突然、大学から出ていける人と、出ていけない人に分断されてしまった。つい1時間前までは同じ信念を持つ仲間だったのに、現実によってその関係性が崩壊してしまった。

私はことさら、校長たちの行動を批判したいわけではありませんが、やはり後々、考察すると、校長たちが学校の校門前に立って、警察が構内に入ってくることを阻止していれば、もっといい結果になったのではないかという考えが捨てきれません。私たちは、あの時、どうすれば、多くの学生たちが逮捕されず、助かったのか、考える時間、反省する機会が必要だと感じていて、だからこそ、この『理大囲城』を作って、社会的にももっと議論をおこししたいという思いが根底にあります」

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_11

──逮捕されてしまうことで、未来も夢も潰されてしまう、そうならないために下水道を通って逃げようとして、うまく逃げられた人がいる一方、地下水道の中で行き場をなくし、亡くなった方もいると聞いております。その運命の分かれ道が全部、この映画の中に収められていると思います。

「それは本当にそうだなと思います」

──今、この映画は世界中の映画祭を回っていますが、多くの素材があるのに、1時間29分というコンパクトな時間に収めた狙いはなんですか。

「私たちは2019年、11月13、14日には理工大学の中に入っていて、そこから一週間ほど滞在しましたが、この映画で使ったほとんどの映像素材は17日から18日にかけて撮影したものになっています。校長たちがやってきたのは18日の夜ですので、17,18日の二日間がこの事件を語るうえで外せない出来事だったと思います。

18日以降は、そこまで撮影をしなかったのですが、それは私たちの心理的なこともあって、撮影できる状況にはなかったということです。さすがに逃げている人にカメラを向けるわけにもいきませんでした。映画のラスト近く、誰もいなくなった大学のショットがありますが、あれは23日までいた者が撮っています。すべての素材が何時間あるかのは把握していませんが、やはり自体が動いた17,18日の映像素材が最も多いのは事実です」

香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー_12

──撮影に関わった監督たちは、その後、大学で知り合った学生たちのその後がどうなったか、追跡調査をしたり、安全確認などはしたのでしょうか?

「連絡先を交換した人には一応、連絡を取ってはいたのですが、香港を離れる決意をした人もいれば、アカウントごと削除して連絡が取れなくなった人もいます」