ネタ作りにおける「バイきんぐ」モデルとは?
――や団は、芸人としてのスタートがSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)なんですよね。SMAというと、かつては割とキャリアのある芸人が、最後に身を寄せる事務所みたいな印象もありましたが。
本間 今は若い人もたくさんいますけど、かつては自ら来る場所ではなく、“流れ着く場所”だと言われていました。いろいろな事務所を渡り歩いて、どこでも芽が出なかった芸人が最後に漂着する場所だと。
だから、うちはバイきんぐさんとか、ザコシ(ハリウッドザコシショウ)さんとか、錦鯉さんとか、苦労人が多いんです。けれど僕らは20代前半で、いきなりそんな野良犬のたまり場みたいなところに入ってしまった。言うなら僕らは首輪をつけられたことがないんです。
中島 僕らくらいの年代だと、や団はSMA唯一の生え抜きといってもいいと思いますよ。
――現メンバーになったのは2007年ですが、や団自体は2005年にすでに結成されていたんですよね。
本間 僕らはもともと大学時代の同級生3人でトリオを組んだんです。ネプチューンさんんに憧れていたので、最初は同じ渡辺プロさん(ワタナベエンターテインメント)とかに入りたいと思っていました。でも、調べてみると、SMAが2004年にお笑い部門を立ち上げたばかりで、しかもお笑い部門を立ち上げたのは、渡辺プロから移籍してきた平井(精一)さんという人でした。
しかも、その平井さんは渡辺プロ時代にネプチューン結成前の、ジュンカッツ、フローレンスを育てた元マネージャーであり、僕らの大学(日本大学)の先輩でもあったんですよ。これは、おいしいかもしれんぞと思って。
ただ、入ってすぐ相方が一人抜けてしまったんです。そうしたら、平井さんが、ちょうどいいのがいるぞって伊藤を紹介してくれて。元相方と背格好もそっくりで、最初、お客さんも気づかなかったくらいなんです。
伊藤 ちょっと前まで、SMAのライブは紙に名前さえ書けば誰でも出られたんです。ネタ見せもありましたけど、それで落とされることもほとんどなくて。なので僕も、とりあえずライブだけ出させてもらおうかなと思って。入るつもりはなかったんですけど、気づいたら所属にされていて。
――バイきんぐの小峠(英二)さんは若い頃、2ヶ月に一回単独ライブを開催し、そのたびに新ネタを6本下ろしていたと聞いたことがあります。それを4年間続けて、キングオブコントで優勝するまでになったと。
本間 それが今でも、うちの事務所の、成功のモデルケースになっているんですよ。
中嶋「バイきんぐモデル」として、他事務所の芸人も参考にしているくらいですから。
本間 なので僕らも毎月3本新ネタを作ることを一応、目標にはしています。なかなか難しいんですけど……。おそらく生涯でもう500本くらいネタを作ってると思うんですよね。でも、残っているのは、その30分の1ぐらいかな。