作家を目指し会社も辞めたけど3年間応募できず

――12月20日発売、集英社オレンジ文庫『このビル、空きはありません!オフィス仲介戦線、異常あり』で作家デビューの森ノさんですが、どんなきっかけで小説を書き始めたのですか?

大学で文学を専攻して、授業の中で小説を書く機会がありました。卒業までに3作ぐらいは書いたと思います。大学卒業後は、アパレルや不動産など、文学や執筆とは無関係な仕事をしていたので書く行為からは遠ざかっていましたが、5年ぐらい前にふとしたことで二次創作にハマってしまって。大学の時に小説を書いた経験があったせいか、どんどん楽しくなって、一気に「書く」行為に没頭するようになりました。

そのうちに、ゲームやマンガ関連の仕事をしている人から「シナリオを書いてみない?」と声がかかって、シナリオやマンガ原作の仕事をするようになりました。やりがいを感じる一方で、テーマや表現においてより自由度の高い「小説家になりたい」という明確な目標を抱くようになりました。

同時にフライングで会社を辞めてしまったんですが、それからはシナリオやマンガの原作、細々したWebライターの仕事など、手当たり次第に「書く仕事」をして生活してきました。

――では、「小説家を目指す」と決心してからは、公募ひとすじの投稿生活を送ってきたのですか?


実はそうでもなかったんです。「小説家になりたい!」と思って会社を辞めてから、3年間はまったく応募できませんでした。その間に10作ぐらい長編作品を書いていたんですが、5万字ぐらい書いても終わりが見えなかったり、話を終わらせたのになんとも据わりがよくなかったり、途中で書くのをやめてしまったり……。

情けないお話ですが、一向に応募に至らない沼みたいな時期を過ごしました。

そこを抜けられたのは、WebマガジンCobaltの短編小説新人賞『ホテルアムステルダムの老婆』が入選したことがきっかけです。自分の書き上げた作品が評価されて「これでいいんだ」と初めて思えました。逆にそこで受賞を逃していたら、きっと今も沼から抜けられずにいたような気がします。やはり、自分ではない他者の客観的な評価を受けられるのは、すごく大きいですね。

――どうして短編小説新人賞に応募しようと思ったのですか?

短編小説新人賞のことは、長年その賞の選考委員を務められていた三浦しをん先生が書かれた小説指南本『マナーはいらない 小説の書きかた講座』で紹介されていたので知りました。Webで公開されている入選作を読んでみたら、すごく幅広い作品が受賞していて、しかも原稿用紙30枚で応募できる。「それなら自分にも書けるかもしれない」と思って挑戦することにしました。私は物語の序盤で世界観を説明するのが苦手だったのですが、30枚ですべてを書き切らなければいけない短編小説はすごくいいトレーニングになりました。