「川崎市といえばサッカーの街」と認知されるように

フロンターレを目標としているBリーグ・川崎ブレイブサンダースのプロバスケットボーラー篠山竜青はこう言う。

「僕はフロンターレの中村憲剛さんと親交もあって、引退セレモニーをDAZNで見ていたのですが……ものすごく驚いたんです。『どんな豪華なゲストが登場するのかな』と見ていたのですが、川崎市の中原消防団の方や、多摩川で清掃活動をされている方など、川崎の街の方々が続々と登場されて。それは僕の心に深く刺さりました。『あぁ、地域密着って、こういうことだな』と。

フロンターレのことを知ってもらうために神奈川県のほかの地域の人も対象に広げようとするのではなく、川崎市との関係性を深めようと必死で取り組んでいる。土をどんどん掘って、フロンターレの根を広げていくような感じですよね。

そこで深い関係を築けることはすごく大切で。ある商品がヒットするためには口コミが最強のツールだというじゃないですか。そうやって深い関係を築けば、フロンターレのよさをほかの人たちに語り、広めていってくれる。『あぁ、僕らもそういう関係を目指さないといけないな』と強く感じさせられました」

篠山が語っているのはフロンターレ全体の認知度や浸透度の話だが、この指摘はもちろん、フロンターレが中心となった川崎市の育成環境にも当てはまる。フロンターレが地域に深く根差すことによって、サッカーに関わる指導者の活発な交流が生まれ、それが子どもたちの成長に還元されていくようになった。

フロンターレで地域担当コーチ兼スクールアドバイザーを務める藤原は、「自分が川崎市出身であるからこその発言になってしまうかもしれませんが」と前置きしたうえで、こんな話をする。

「静岡県の清水(以前は清水市、現在は静岡市清水区)はサッカーの街として長年知られてきましたよね。これから先、『川崎市といえばサッカーの街』と認知されるようになってくれたらいいなと願っています。もちろん、川崎市から1人でも多くのプロ選手が生まれてほしいです。ただ、それだけではなく、この街でサッカーというスポーツに出会うことでものごとを決断する力や人と協調していく力が身につき、それが社会に出たときに役立って人生が充実した、と感じてくれる子供たちが増えることを願っています」

今回のW杯で日本中を沸かせた優秀なサッカー選手が次々と川崎市から生まれたことに、フロンターレの存在が大きく関与していることに疑いの余地はない。

ただ、もっと大きな枠組みで考えると、川崎市でサッカーやスポーツにかかわる多くの人たちが、それぞれの立場でこの街全体の発展を願うことによって幸せな状況が生まれている、ということもまた1つの真実なのだ。

取材&文/ミムラユウスケ 写真/Getty Images