〝なにげない日常〟のありがたさを考えずにはいられなかった出来事は、私たち日本人にとってはコロナ禍がはじめてのことではない。インタビュー前編で広末さんは「芝居とは別の表現や、存在価値みたいなものを自分の中に見出していかなくてはいけない年齢」と考えていた時期にこの写真集のオファーがあったことを振り返っている。そんなことを考えるようになった原点も、あの非日常体験が大きかったという。
2011年の東日本大震災である。
「こんなにも自分にはできることがないんだという、もしかしたらはじめて感じた出来事だったかもしれないです。物資なのか、自分が足を運ぶのかとか、なにができるんだろうってたくさん考えたのにすぐには動けなくて。本当になにもできないんだ……と思って、すごく情けなくなって。うん。がっかりしたんです。
でも、はじめて被災地に連れて行ってもらった時に、ただ握手をして、写真を一緒に撮っただけで泣いてくれる人がいて、私にとっては驚きだったんです。なにができるんだろうとか、なにかしなきゃとか思ってた自分こそ、なにしてたんだろうって。
私がそこにいるだけで喜んでくれたり、元気になってくれる人がいる。私はそういうありがたい立場にいさせてもらっていたんだと。改めて、この仕事をずっと続けたいと思いました。
たとえばですけど『この人に会ったことあるんだよ』とテレビを見て子どもに言ってもらえたり、『この人も頑張っているから、私も頑張ろう』と思ってもらえるなら。そういうことこそ、私が小さい時からやりたかったことだったと再確認させられたんです。続けることに意味を見出せたとも言えると思います。
どういう役をやらなきゃいけないだとか、こういうイメージを見せたいとかだけじゃなくて、存在価値みたいなもの。続けていくことでそういうことも人に受け取ってもらえるかもしれない。そんな可能性のある、ありがたい仕事なんだなって教えてもらえた出来事でした」
そして、言葉の時刻は、2011年から2022年へ。今回のインタビューで、彼女が唯一深く思考した問い「広末涼子にとってのふつうとは?」に対する言葉はこのようなものだった。
「……ふつうとは? ……ふつうとは? ……ふつうかぁ。ふつうとは、私にとっては〝等身大の自分〟ですかね。女優だからとか、この年齢だとかの肩書きだけではない、リアルな自分のこと。考えてそんな答えにたどり着いたのは、デビューの頃からふつうの感覚を絶対に失いたくないと思ってきたからかもしれないです。
等身大の自分って、見失いがちですよね。私の場合、見失った時にそれを教えてくれるのが、ずっと近くで見てくれてきた学生時代からの友達だったり、育ててくれた両親や自分の家族だったり、現場のスタッフさんや、ママ友とかだと思うんです。
そばにいてくれる人たちがリアルな私を映し出してくれる。まるで、鏡のように。私自身が等身大の自分を見失ったとしてもその人たちに映った自分を見て気づけるものが、きっとあると思うんです。だから私は、ふつうの感覚を失わずにこれからも生きていきたいです」
出会った人が握手するだけで涙を流してくれる特別な人でありながら、ふつうであることを絶対に手放さなかった人でもある広末涼子さん。図らずしてではあるけれど、ドキュメントな写真集でもある『C'est la Vie』には、そんな特別でふつうな人の日々が、写真として残されている。
インタビューの最後に「撮り直したい1枚はありますか?」と聞くと、「ないです」と即答してからイタズラっぽく笑った。そして、「これが私です、っていう写真集になったので。10年後や20年後だったら撮り直したいって思うかもしれないけど、いまの私に見せられるものはこれが一番ですから」と、もう一度笑った。
取材・構成/唐澤和也 撮影/野﨑慧嗣 ヘア&メイク/陶山恵実 スタイリスト/竹岡千恵
♯1<最新写真集発売・広末涼子独占>「最終的に背中を押してくれたのは、『やればいいじゃん』という家族の言葉でした」に続く
(衣装クレジット)
ベスト¥33,000/ドローイング ナンバーズ 新宿店(ドローイング ナンバーズ) ジャケット¥64,900、パンツ¥42,900/ともにコロネット(デザイナーズ リミックス) 靴¥19,800[参考価格]/ザ・ウォール ショールーム(センソ) ピアス¥36,300、ネックレス¥110,000、バングル¥99,000、リング¥162,800/すべてホワイトオフィス(ジジ)