「君は××を読んでないのか? 私は全部読んだぞ」

不安につけ込むファスト教養業界のからくりを解き明かしてくれたことは、日ごろ、教養がなぜ大切かを説く立場にいる私にも、多くの示唆を与えてくれた。

私が学生だったのは半世紀も前のことだから、まだ昔の教養主義が幅を利かせていた。「〇〇を知らないと恥ずかしい」式の押しつけがましい教養論である。

当時から「君は××を読んでないのか? 私は全部読んだぞ」という脅し文句をつかう人はいたが、たいていの場合、本人の承認欲求の裏返しにすぎなかった。

こういう昔の教養主義の脅し文句が、手を変え、品を変えしながら、今のファスト教養につながっていったことを本書は鋭く指摘する。

私自身は、教養の海のなかで生きてきた。今でも「おまえの専門はなんだ?」と聞かれるのが嫌いだ。私は、隙間の研究者だからである。

中学、高校の六年間は、未知の世界を覗き見る愉しみに浸っていた。先達は学校の教師たちだった。DNAを知ったのも、金融資本を知ったのも、通奏低音を知ったのも、中学時代の教師のおかげである。

大学は東大の理系に入ったが、結局、教養学部教養学科に進学した。東大には、法学部や理学部のように専門に特化した学部以外に、教養(リベラルアーツ)を名乗る専門学科がある。

主専攻(専門)の科学史・科学哲学では、中世アラビア科学史、近代西洋科学史、日本農業技術史、哲学ではヴィトゲンシュタインやマルクスが並んでいた。自然科学も楽しかった。

教授一人に学生二人で、膝を交えて受ける量子論の講義。三崎の臨海実験所に行って和船を漕いでプランクトンを集め、ネズミの腹にマーカーを注射して尿のマーキングで縄張りの形成を調べた生物学の実習。

自分で選べる副専攻は藝術にしたから、西洋美術史、西洋音楽史、民族音楽など、文字通りリベラルアーツにどっぷり浸かる日々だった。

しかも、指導教官は学科で教養を学んだのだから、大学院は違うところへ行けと言う。アメリカのリベラルアーツ・カレッジから専門の大学院へ進学するのと同じルートを勧めた。