指導者のライセンスを取らなかった理由
――Jリーガーと聞くと華やかな印象を持ちますが、実際は厳しいんですね。
そんな経験をしたからこそ、プロが人生のゴールじゃないという考えを持てたのかもしれません。プロになったからと言って、一生サッカーで稼いで生きていけるわけではない。それどころか30歳までプレーできれば、ラッキーという世界です。
先ほど指導者になる選択はなかったのか、という質問をいただきましたが、指導者は選手よりも席が少ない、もっと厳しい世界ですからね。
――指導者になることはまったく考えなかったのですか?
もちろん僕はプロとしてサッカーにすべてを賭けました。ファンやサポーターの応援は本当にありがたかった。だからこそ、選手だけではなく、子どもたちやファン、サポーターの方々も含めたサッカーをめぐる環境づくり、街づくりをさらに発展させていく必要があるのではないかと思ったんです。
だったら、まず僕自身がサッカー界の外でチャレンジしてみよう、と。そうした将来像を具体的にイメージしたのが、26歳か27歳。それからサッカー界以外の人とも積極的に会うようになりました。だから、指導者のライセンスは一切取っていないんですよ。
――現役時代からサッカー以外の世界を見ようとした体験はプレーに影響を与えましたか?
サッカー以外の人に会って話を聞く経験は、僕自身が置かれた状況や、サッカー界の環境を客観的に見るために必要なプロセスでした。それに、将来が漠然と不安だからといって、サッカーだけに集中していたとしたら、もっと不安になったかもしれません。
いまも後輩に「サッカーから離れるのは怖くなかったですか」と聞かれます。僕はそのたびに「サッカーしか知らない方がリスクだし、怖いよ」と答えています。サッカー以外に、いくつか選択を持っていれば、ミスや失敗をしても次のチャンスがありますから。
――ピンチの芽を事前に摘み取るボランチだった鈴木さんらしい考え方ですね。
いま振り返れば、そうですね。ゲーム中のリスクマネジメントが、僕のプレースタイルでした。