土地への愛着と最大のライバル
古くは、東京と大阪という土地や言葉へのなじみが、ひいきの理由になっていた。BK朝ドラの方言や人間関係の描写に温かみを感じる人がいる一方で、「言葉が汚い」「うるさい」と感じる視聴者もいる。そうした批判は、女性週刊誌などで時折取り上げられてきた。
朝ドラの作り手を取材してきて、よく聞いたのは、ライバルは前後の作品だという答えだ。視聴率や話題性、評価など、どうしても比較の対象にされるからである。
これはファンも同じだ。もともと東京vs.大阪という図式で、ひいきのチームのようにAKとBKを観ている人がいる。ひいきの俳優が出た作品の数字が芳しくなかったり、辛口の評価が多かったりすると、仕返しとまでは言わないまでも、次の作品に揚げ足取りのような手厳しい評価が向かうこともしばしばだ。
旧Twitter(X)が浸透し、朝ドラが盛り上がるようになってから、この傾向はより一層強まった。特にモデルやモチーフのいる作品では、「史実探偵」「時代考証探偵」が登場する。
ただし、「争い」自体は、Xで朝ドラが盛り上がり、「〇〇反省会」タグが登場するような時期よりはるか前からあった。かつては2ちゃんねるの掲示板に、朝ドラの感想がリアルタイムで書き込まれ、ツッコミや批評、批判の舞台になっていた。
かなりざっくり分けるなら、濃いファンの間では、BK朝ドラはドラマとしてのクオリティ、AK朝ドラは視聴率や話題性、メディアの注目度、という見方があった。古い野球ファンにしか通じない例えで恐縮だが、「人気のセ、実力のパ」ならぬ「人気のAK、実力のBK」である。
人気のAK、実力のBKとは
この見方には、いくつか事情がある。
AKは、沖縄本土復帰50年といった時代的、社会的な節目に合わせたテーマを担うケースも多く、鳴り物入りの企画も少なくない。制作統括が朝ドラを任された時点でテーマが決まっていたり、ときには主演俳優まで決まっていたりして、そこから脚本家に発注されることもある。その場合、脚本家が書きたいもの、得意なものとは限らない。
モデルのいる作品(近年は「モチーフ」のあるオリジナルとする作品が増えたが)では、遺族や関係者、関係団体との折り合いがあまり良くなく、配慮の結果、やりたいことが十分にできない作品もあった。演出担当が主導権を握り、脚本家の意向が尊重されず、書き換えが重ねられたケースも、昔はあった。今はそうした作品はほぼなくなってきたと思う。
脚本家が書きたいもの、得意なものと、作品のクオリティはやはり関係している。上層部や外部からの横やりが入らず、入ったとしても制作統括や演出が壁になって作品と脚本家を守るケース――脚本家の書きたいものを最優先し、それを「設計図」として制作陣、役者陣が一丸となって作り上げる作品は、うまくいっていることが多い。













