高市政権が壊した対中外交の不文律

中国側の日本に対する外交窓口は中国共産党中央対外連絡部(中連部)だ。先の橋本岳のように、日本の国会議員たちはそことの接触も途絶えている。

森山の前任の日中友好議連会長は二階俊博であり、その次が林芳正だ。林は岸田文雄政権で外務大臣に就任したため、二階に会長を譲った。したがって必ずしも自民党の幹事長が日中友好議連の会長ポストに就く決まりがあるわけではないが、やはり中国の事情に詳しい国会議員でないと議連会長は務まらない。

元来、自民党の議員たちは中国と台湾の関係もあり、なんとなく親中国派と親台湾派に色分けされてきた。概して岸信介の流れを汲む旧安倍派や麻生派は台湾寄りとされ、中国の国交を回復した旧田中派や旧竹下派、旧大平派の流れを汲む自民党議員は中国寄りとされる。党内のそうした色分けについて森山に尋ねた。

「たしかに麻生太郎先生は台湾に近いとは思います。自民党ではそこを含めて中台のバランスを考えてきました。私も鹿児島の山中(貞則)先生に連れられて台湾に行っていましたが、自民党にはある一定のルールみたいなものがありました。

党の役職に就いている議員は台湾の訪問を遠慮する、という暗黙の了解とでもいえばいいのでしょうか。台湾から要人が来られたときも、お会いする窓口は自民党の役職についていない若手の青年局が担当してきました。私が幹事長だった時代を含め、二階(俊博)先生や茂木先生のときも、そのルールは守られていました」

いわば政権与党としての自民党の不文律だったという。森山が言葉を足す。

「けれど、高市さんが総理になってから、その慣習が壊れました。(古屋圭司)前選対委員長や(萩生田光一)幹事長代行という党の要職ポストの人たちが、台湾に行くようになったのです。そんなことは今までありえませんでした」

高市政権誕生後に自民党選対委員長という4役に抜擢された古屋は、日本台湾友好議員連盟の会長を務めてきた。これまで議連の会長として何度も台湾を訪問してきたが、4役に就いてからも日台議連の会長を続投する。それなども中国の神経を逆なでしたといえるそうだ。

古屋は2026年2月の衆議院選挙で自民党が大勝した立役者でありながら、選挙後は選挙対策委員長から外され、話題になった。表向きは、選挙に圧勝しながら比例候補者の数が足りずにみすみす野党に議席を譲った失態の責任をとったとされる。

だが、その実、高市政権は古屋に憲法審査会の会長という重要ポストを用意した。憲法改正の要となっているだけに、それも中国側にとってはおもしろくないかもしれない。高市政権ではそうした配慮がない、と森山は突き放す。

「政府間の事柄ではないものの、与党や政府の役職にある議員が台湾と交流すると、台湾を国として認めたことになってしまう可能性がありましょう。やはり向こうを刺激してしまいます。役職のない平場の議員外交なら、中国側も何も言いません。けれど、やはり与党や政府の関係者となると、そうはいきません。

報道はあまりないかもしれませんが、実際に大使館を通じて向こうから『国交回復のときの約束事と違うんじゃないですか』と抗議が来ます。

政府与党としては、台湾を国と認めた交流をしない、と慣行慣例でそうなっています。だから、台湾から来られた人と自民党の誰が会ったとか、非常に気を遣ってきました。高市政権になるまでは」

とどのつまり高市政権は、あの安倍政権時代でさえ守ってきた中国との国交回復時の暗黙のルールをことごとく破ってきたといえる。そういう事態が、冷え込んだ日中関係の目に見えない障害になっているのだという。

森山が小泉進次郎を推した理由

森山𥙿は高市早苗に手厳しい。2025年10月の自民党総裁選では高市ではなく、小泉進次郎を推した。その理由について率直に森山に尋ねた。

「総裁選は誰かに票を入れなければなりませんから、たしかに私は小泉さんに1票入れました。小泉さんはもともと鹿児島にルーツのある方なのです。実は進次郎さんのおじいさんにあたり、衆議院選挙を戦ってこられた小泉純也さんは、旧姓を鮫島さんといいます。

鹿児島出身の方なのです。鹿児島実業高等学校の夜間課程で学ばれ、非常にご苦労されたと聞いています。われわれ夜学生にとって憧れの人でした。

その鮫島純也さんは小泉家のお嬢さんと熱烈な恋愛をして結婚され、小泉純也さんになられた。結婚相手は進次郎さんのおばあさんにあたり、ともにひいおじいさんの事務所に勤めておられたそうです。

で、純也さんが小泉姓になって衆議院議員になられた。ですから、小泉進次郎さんは小泉家の4代目の議員ということになります。

ちょうど先の総裁選の前、小泉進次郎さんをおじい様が出られた鹿児島実業高等学校にご案内しました。進次郎さんは石破政権で農林水産大臣を務めておられ、そのとき私の選挙区が大水害に見舞われました。小泉さんには農林大臣として大変ご尽力いただき、親しくお付き合いさせていだたくようにもなりました。そうした縁もあります」

小泉進次郎の高祖父は明治時代の麹町区会議員だった宮本央だが、国政でいえば小泉家の初代は衆議院議長を務めた曽祖父の小泉又次郎で、祖父の小泉純也、父の小泉純一郎と世襲を続けている。森山は祖父の出身校に案内したときの牧歌的なエピソードを明かす。

「小泉進次郎さんが鹿児島にお見えになったとき、地元の造り酒屋のおばあちゃんがいらして、『おじいさんの純也さんとお父さんの純一郎さんのどっちがよかにせ(ハンサム)かね?』と尋ねると、『純也さんにはとても敵わん』とおっしゃった。純也さんはそれぐらい端整なお顔立ちをされていて、進次郎さんも人気でした」

小泉進次郎はポスト高市の候補にもあげられる。反面、高市内閣では防衛大臣となり、安保三文書の改定をはじめとした防衛力強化策を打ち出している。

これまでは高市と対極にある穏健保守と見られてきたが、すっかり右傾化して高市政権と同化し、積極財政派に転じているとも指摘される。

高市政権は日本の成長産業と位置付ける殺傷能力のある防衛装備品の輸出や中古戦艦の売り込み、さらには核の持ち込みや「核武装の検討」まで打ち出しているが、小泉はその担当責任者だ。リベラル保守と呼ばれる森山にしてみたら、小泉はかなり期待外れなのではないだろうか。