「小異を残して大同につく」という智恵
森山は鹿児島市議会議員としてこの二階堂に心酔してきたという。1997年に訪中したときの二階堂と江沢民との会話に話を戻す。
「江沢民さんは『ご存命なのは二階堂先生お一人ですから、教えてください』という枕詞で先生に質問されました。日中国交回復の要件について当時の日本のマスコミは、小異を捨てて大同についた結果だと報道していたけれど、『それは違います』と江沢民さんはおっしゃいました。
『あのときはむしろ小異を残し、大同につこうという合意だったのです』と。そばで『どういう意味なのか』と首をひねりながら聞いていると、江沢民さんは『日中国交回復の話し合いがほぼ終わりかけたとき、田中総理が周主席に尖閣の問題はどうしますか、と聞かれたでしょう。あのときの周主席の答えが小異を残そうという話なんです』と続けました。
つまり、日本と中国の関係は古い古い関係だから、尖閣の領土問題を含めて小異はあるけれど、それは自分たちの世代ではなく、われわれよりもっと頭のいい若い人たちに任せよう、という発想です。二階堂先生もあのときのことをよく覚えていて、江沢民さんに同じようにそう答えていました」
政府が尖閣諸島と呼ぶ日本固有の領土である東シナ海の島は、中国側が魚釣島と称し、「わが領土だ」と主張して譲らない。繰り返して説明するまでもなく、日中の首脳が互いに尖閣諸島の領土問題を小異と認識し、今すぐに議論する必要はないから、次世代に問題解決を委ねようとしたわけだ。
「田中角榮先生と周恩来さんとの日中国交回復の話し合いでは、尖閣の共同開発まで提案なされました。事実上、二階堂先生がその検討を進めていった。江沢民さんと二階堂先生の会談は1997年ですから、私がこのことに接したのは72年の国交回復からだいぶ経ったあとです。
けれど、田中先生や二階堂先生の築かれた国交回復のそういう話が連綿と伝え残されてきました。訪中は孫平化さんの招きだったかもしれません。日中は非常にいい関係でした」
森山がつけ加えて言う。
「私が平成10年に参議院議員になる直前で、鹿児島市議会議長の頃です。鹿児島の県会議員や志布志町の町長、中国と貿易をしておられる経済界の方々もいっしょでした。
『土産にはどんこという鹿児島特産の分厚い干ししいたけが喜ばれるだろう』と二階堂先生がおっしゃられ、北京に持参したのを覚えています。二階堂先生はアメリカにも留学しておられましたから、中国以外にアメリカとの関係も大事にしておられました」













