──赤沢保育園を取材して、どんなところに関心を引かれましたか?
佐藤 まず、優しさがにじみ出ているような園全体の雰囲気ですね。子供たちの表情が生き生き、伸び伸びしていて、初めて来た私に対しても温かい雰囲気で受け入れてくださって、ここはいい保育園だと思いました。古い資料は水害で失われたものもあったそうで、理事長先生の赤澤泰子さんに取材しながら、わからない部分は想像で埋めていくしかないなと。それで、それまでの私の作品を理事長先生にお渡しして、私なりに想像を膨らませて、きらきらした感じに仕上がっちゃうかもしれないんですけど、どうかよろしくお願いしますとご挨拶したら、いいですよ、と言ってくださいました。
──物語は五話構成で、冒頭と最後以外はナカの視点で語られます。婚家を出て、故郷を去り、鍾美の私塾「新潟静修学校」で働き始めたナカは、幼児保育に取り組むことになります。人物や構成をどう構想していきましたか?
佐藤 鍾美中心の作品になるかと最初は思っていたんですけど、ナカや保育を担った女性たちの力が大きかったと理事長先生から聞いて、鍾美よりはナカ視点、ナカの物語にしようと決め、プロットを立てていきました。家の事情で進学できなかった人たちのための私塾を開いたら生徒がたくさん来て、その弟や妹の子守をナカや叔母のイクたちが別室でしたことから始まって、いつしか保育園になっていったという流れなので、ひとつながりの話で書くよりは、視点はナカでも、周りの人物の物語を書いていく方がメリハリがつくだろうと。一話完結の五話構成にして、最終的には次の世代につながっていくようにしようと考えました。
──デビュー作や『花散るまえに』、『白蕾記』もですが、夫婦の物語を書いていらっしゃると思います。鍾美とナカ夫妻の造形は、どのように生まれたのでしょうか。
佐藤 夫婦の物語にしようと意識しているわけではありません。歴史よりも、そこにいた人たちの感情を想像して書きたいからだと思います。感情が向く相手は、妻だったり、子供だったり、親だったりの身近な人で、感情を掘り下げていくうちに夫婦の話になるのかもしれません。鍾美は厳格な教育者ではあるんですけど、自分の写真にひげを描き足してみたり、立派な衣冠束帯姿で威厳あるブロマイドを撮ってみたり。ちょっとずれているというか、そこ? みたいなところを一生懸命やっちゃう意外なエピソードがいくつもあって、取材に行ったその日に「偏屈者」というキーワードが浮かんで、鍾美とナカの夫婦像が立ち上がってきました。気難しい偏屈者なんだけど、根はいい人。悪い人じゃないんだけど、ちょっと変なんだよねという旦那さんと、振り回されながら、しょうがない、何とかするかと付き合っていく奥さんという夫婦像が、理事長先生のお話を聞いたあとに生まれました。資料だけだったら、たぶんこの夫婦像にはならなかったと思います。
──五話構成にしつつ、全体のテーマは初めに考えていらしたんでしょうか?
佐藤 私は職場で乳幼児と接することが多くて、子供たちは本当に愛されている、どんな大人にも「何々ちゃん」と呼ばれた時期があったんだと感じる日々なんです。人間は、まっすぐ育つ人もいれば、ちょっと曲がっちゃったり、いろいろだと思うんですけど、大人になると、見えなくなることの方が多くなっていくんだなと、子供を見ていると気づかされる。なので、この作品は、かつて自分も愛されていたんだ、と読者が思い出したり、感じられたりする話にしたいと、担当編集者から保育園の題材をいただいた段階で思っていました。赤沢保育園に取材に行くと、この場所にいて大丈夫だよと言ってくれているような雰囲気が、私の書きたかった感じとぴったりで、そこから「誰しもが愛されていた」というテーマが決まりました。
──〈強い人になるよりも、優しい人であろうとすることの方が、ずっと難しい〉という鍾美の言葉は、今の世の中にもそのまま通じると思いました。
佐藤 鍾美が創設した「守孤扶独幼稚児保護会(孤を守り、独りを扶け、幼稚児を保るための会)」というネーミング自体が、親と子を社会で守り、育てようというもので、鍾美は素晴らしい先見性と感覚を持っていたんだなと思います。明治時代に提唱した人たちがいたのはすごいことであると同時に、私たちの社会では未だにそれが実現できていないようにも思うんです。保育園は、子供だけじゃなくて親も一緒に受け入れて、子育ての不安や重荷をみんなで持つ場所として存在していいはずなのに、子育ての負担がお母さんにのしかかってくる感じは今も変わらない。その上、核家族、共働き世帯の増加、隣に住んでいる人の顔もわからないような現代において、「守孤扶独幼稚児保護会」というネーミングに込められた思いが、世の中への問いかけになっていると思います。いつの時代も、子供たちが周りの大人たちの姿を見て、受け入れて、育っていくのは変わらないんですよね。大人として今の世の中を見ていると、この先、子供たちにとっていい未来を築いていけるのだろうかと、私自身も日々自問自答しています。
──二三年に『花散るまえに』でインタビューさせていただいたとき、令和の時代を生きる人が読んで、違和感がないようにお書きになっているとうかがいました。
佐藤 そうですね。『花散るまえに』もそうだったんですけど、書くにしても、読むにしても、今の価値観で共感できる作品でないと、小説の意味がないんじゃないかと思っているんです。昔のことを読むのではなくて、今を生きている私たち自身が読んで共感できる、これって今もそうだよねとか、自分や周りに置き換えて考えられる作品を書きたいと思っているので。今回も、今と重なりそうなところを資料の中からピックアップして、あえて書いたりしました。
──悪戯ざかりの幼児が子守室から教室を覗き見して、襖の開け閉めが楽しくなって笑い出すような、作中の子供の描写がかわいらしいですが、子供たちを目にしている普段の経験が発揮されているのでしょうか。
佐藤 そうだと思います。思い浮かべて描いていく顔が、私が普段接している子供たちの表情になったりしていました。子供たちと接していると、人間の根本を見ている気がするんですよね。大人になったら隠してしまったり、忘れてしまったりする喜怒哀楽がストレートに出ていて、最初は人見知りして泣いていた子が、二歳、三歳になる頃には「佐藤さん大好き!」と言ってくれる。立場や役職など関係なく、人間として信頼関係を築いていく感覚を、子供たちに改めて教えてもらっています。しゃぼん玉が割れてしまうことを不思議そうにしていたり、宝石を見つけたように石ころを持ってきてくれたり、ごみ収集車や路線バス、郵便配達のバイクなど、生活を支えてくれている人たちに、目を輝かせて手を振っている。そんな子供たちの姿が、大人になって忘れてしまっていた大切な何かを、たくさん思い出させてくれるんです。じゃあ、大人である私たちはこの子供たちのために何ができるのだろう、それは、無条件に愛してあげることかなと。愛してあげるというのは甘やかすことではなくて、包み込むように、その存在自体を許してあげることかなと。親以外の大人から大切にされた経験は、きっといつか忘れちゃうだろうけど、その子の心の奥に何かしら残ってくれたらいい、という私の願いが入った作品になったと思います。
──鍾美とナカにはそれぞれ過去があって、前の結婚が上手くいかず、子供を置いて婚家を去ったナカの前に、時を経て、実子の直二郎が現れます。自分を置いていった母親が、他人の子を保育しているのを見たら、直二郎は複雑な気持ちだろうと思います。
佐藤 ナカと鍾美が再婚同士だったと聞いて、じゃあ、置いていかれた子供は? と直二郎の存在を知り、登場させなくてはいけないなと思いました。〈ここは子供を置いていく場所じゃありません、保るための場所です〉という保護会の考え方に対して、何かを言い返せる立場の人は、この作品の中では、誰かから守られることを知らずに育った直二郎でした。親が自分の都合で子供を預けている、という批判的な目は今もあるので、批判的な部分を直二郎に担わせて、保育の現場にいる人の思いとぶつかり合わせました。他人の子供を守るということは、子供や親、社会にとってどんな意味があるのかを、読んだ人に少しでも感じてもらえたらと思ってシーンを描きました。
──子供たちへの向き合い方が、教えるというより、「保る」なんですね。存在自体を守る。園舎が被災した一九一九(大正八)年七月の大火については、書かなくてはという思いがあったのでしょうか?
佐藤 物語の終盤にかけて盛り上がりを作る必要もありましたけど、静修学校の校舎も保護会の園舎も全焼したのに、誰一人、欠けることなく、子供たち全員を避難させたことに「保る」という思いが表れていると感じました。他人の子だからこそ守るというのは、どういうことなのか。まだ言葉もよくわからない一歳、二歳の子にも真剣に状況を説明して、先生の手を離さなければ絶対大丈夫だから、と言える保育者たちの責任感や覚悟は、今も昔も変わらないと思って書きました。














