「自分たちは日本を愛したのに日本は自分たちを……」とならないために
西村 天野さんは、高額療養費を含む日本の医療保険制度は、究極的にどういう制度であるべきだと思いますか?
天野 唯一の正解、というものはないですよね。ただ、今回の高額療養費制度〈見直し〉で私たちが年間上限を導入していただくように主張したのは、医療経済学者の方々がヨーロッパの仕組みを参考に、日本の医療保険にも年間上限の仕組みを検討すべきだとおっしゃっていたからなんです。私たちもそこにヒントを得て、高額療養費の年間上限を主張しました。超党派議連に参加いただいた与野党の衆参議員の方々も賛同してくださって、厚労相に対して導入を主張していただきました。
今後、マイナンバーカードがさらに普及して、患者さんとその支払い状況がより把握しやすくなれば、ヨーロッパ諸国の公的医療保険制度にあるように、窓口支払いそのものも上限を決めて、それ以上は払わなくてすむ制度になっていく方が、全体としてシンプルでわかりやすいと思います。
西村 さきほど話があった、年間上限で多年の使用者にはさらに引き下げるというアイディアも、もしもそれが実施されれば当事者としてはありがたいし利便性も高くなるんですが、一方では制度そのものがさらに複雑でややこしくなっていくおそれもありますね。
天野 いろんな配慮をしているからこそなんですが、今でもすでに制度はかなり複雑になっているので、やはりヨーロッパ諸国のように全体の年間上限を設けてそれ以上は払わなくていい、という方式にしたほうがいいかもしれない、と思います。
西村 シンプルな方が分かりやすいですもんね。
天野 あと、社会保障全体で見ると、西村さんも繰り返し主張しているように、国民医療費はどの程度危機的な状況にあるのか、という議論は冷静にした方がいいと思います。立教大の安藤道人教授のように、国家財政や対GDP比という視点から同様の指摘をされている経済学者の方々もいますよね。
もちろん、社会保障費は今後も伸びていくでしょう。伸びていくけれども、 高齢化がピークを迎えると言われる2040年を見据えた場合、それほど悲観的でもないのではないか、という意見もあるわけです。
当たり前のように「高齢化でこのまま行けば社会保障はやがて破綻する」と言われていて、たしかにまったく何もしなくていいとは私も思いませんが、ではどの程度負担増を行わなければならないのか、負担減となる方向の検討は本当にできないのか、と冷静に考えなければならない時期に来ているとも思います。それは高額療養費も含めて。
西村 「持続可能性」というもっともらしい言葉で「このままだとヤバい」という雰囲気を演出するのではなくて、定量化されたデータや推計をもとに議論してほしいですよね。
天野 そうですね。そこがないまま、とにかく社会保障費を削るという目標だけでここまで来てしまった印象があります。その結果、全体のグランドデザインがないまま、一番重要な高額療養費から手をつけて削ってしまう、という本末転倒の状況になっていると思います。
西村 誰でも金銭の不安なく制度を利用できて、健康を改善維持できることこそが持続可能性なのであって、たとえ堅牢な制度でも、それを利用するお金がないために受診を控えて自らの命を諦める人が出てくる制度は、とても持続可能とは言えないですよね。
天野 高額療養費制度は社会の紐帯、つまり、この制度があることで社会の安定性が保たれているという側面もあるんですよね。もしも大きな怪我や病気に襲われた時でも、国が手を差し伸べて自分たちを支えてくれるんだ、という安心感が日本社会を支える活力になり、人々を結びつける紐帯として機能してきたのだと思います。なのに、その大事な基盤にこうもやすやすと手をつけてしまうと、国としての結びつきや社会としての安心感が失われてしまうことになるのではないか、ということを危惧します。
西村 社会に対する信頼や一体感が、足元から崩れてしまうわけですからね。
天野 映画の『ランボー2 怒りの脱出』(1985年)では、元ベトナム戦争帰還兵で、アメリカ人捕虜を救出する特殊部隊隊員を演じた主演のシルベスター・スタローンが、「俺たちが国を愛したように、国も俺たちを愛してほしい」という場面があるんですが……。
西村 最後のシーンですね。
天野 このまま悪い方向へ進んでいくと、自分たちは日本を愛したのに、日本は自分たちを愛してくれなかった、という状態になりかねない。日本を愛しているからこんなにたくさん社会保険料を払っているのに……。
西村 社会保険は自分たちを愛してくれなかった(笑)。
天野 そうならないようにしないといけないですよね。
西村 『怒りの脱出』にならなくてすむように。
天野 ほんとにそうですよね(笑)。今日はありがとうございました。
撮影五十嵐和博














