治療現場で起きていることと、永田町・霞が関での議論との乖離
西村 高額療養費〈見直し〉案は、5月29日に採決され可決されましたが、今日はまず、昨年の「高額療養費制度の在り方に関する専門委員会」を振り返るところから始めてみたいと思います。天野さんは患者団体の代表としてこの議論に第1回から参加し、2025年12月25日の第9回で引き上げ金額が提示されたわけですが、その前の第8回で「高額療養費制度の見直しの基本的な考え方」を専門委員会で取りまとめましたよね。そこに至るまでの過程では、どれくらい充実した議論をできたとお考えですか。
天野 この専門委員会には、我々全国がん患者団体連合会(全がん連)と日本難病・疾病団体協議会(JPA)から 1名ずつが患者団体の代表として委員に入ったことによって、私たちの申し上げたいことはある程度聞いていただくことができました。高市早苗首相や上野賢一郎厚労相が国会で繰り返しおっしゃっているように、多数回該当の据え置きまたは引き下げ、および年間上限の新設、という部分については我々患者団体や超党派議員連盟からの要望を受け入れていただいたと思っています。
一方で、そもそも専門委員会の立て付けが、我々患者団体の委員以外は社会保障審議会医療保険部会の委員と同じ構成で、しかもその医療保険部会はもともと全体的なトーンとして、負担引き上げを前提としているような雰囲気でした。その中で我々患者団体が引き上げは慎重に検討すべきという主張だったので、私たちの意見は聞いてはいただいたものの、それを完全に通すのはなかなか大変な場だと感じました。
西村 専門委員会では、天野さんと大黒さん(大黒宏司氏・JPA代表理事)は孤立無援だったんですか? あるいは、事務局の厚労省官僚や他の委員の中には、陰でアシストや応援してくれる人がいたんでしょうか?
天野 専門委員会の委員の方々は患者の自己負担を引き上げるべきという意見の方が大多数だったので、私たちの意見をそのまま受け入れていただくのは難しかったです。この専門委員会は石破茂首相から「専門委員会を設置して患者団体の委員も入れるように」という指示があって出来上がった組織なので、むしろ事務局の厚労省の方々のほうが我々に対して気を遣ってくださっているような雰囲気を感じました。
西村 専門委員会で天野さんたちは様々な疾患や所得階層の実態をデータとして出すように要求して、その結果、厚労省が疾患・所得別の例を出してきましたよね。今国会の議論では、高市首相や上野厚労相が答弁で「延べ20を超える様々な事例や家計の収支状況に関する資料などをお示しし、議論をいただきました」と再三述べていますが、天野さんは十分に検討・検証ができたとお考えですか?
天野 たしかに20を超える事例を出していただきました。ただし、厚労省の事例の取りかたは若干恣意的だったように思います。大半は負担が減る例で、負担が増える例は少ないように感じた、というのが正直な印象です。
我々は、高額療養費の引き上げを慎重にすべきだという意見をお持ちの医療者や医療経済学者などの意見も聞いていただきたいと思っていたので、そういった方々を参考人として呼んでほしい、あるいはそのような資料を出してほしいと何度かお願いしたんですが、それは丁寧に断られました。
つまり、厚労省は役所が提出した資料、あるいは厚労省が出席を認める参考人に基づいて議論を進めていた、という側面は否めないと思います。
西村 そういう意味では、EBPM(Evidence-Based Policy Making:統計データなど客観的な証拠に基づく政策立案) のような体裁を作ってはいるけれども、実際のところは語義どおりのEBPMになっていなかった、ということですね。
天野 議論の過程では賛否両論があってしかるべきだと思うんですが、厚労省にとってネガティブな意見は取り上げられにくい構造はあったと思います。たとえば「こういった資料を使ってほしい」とか「この人を参考人に呼んでほしい」と言っても、厚労省が調べたもの以外は難しいということだったのですが、委員提出資料であれば認めていただけるという話だったので、東大大学院五十嵐中特任准教授(当時・現在は慶應大学大学院特任教授)の推計データを私からの資料という形で提出しました。ただ、それも政府案の作成にどの程度影響を与えたのかは、正直なところわからないですね。
西村 つまり、そのような委員提出資料は「提出させてあげるけれども、受け取るだけですよ」みたいな感じだったんですか?
天野 厚労省が事務局として出す資料と委員が提出する資料では全然格付けが違って、委員が出したいと言って出す資料は、あくまでも参考資料扱いということだと思います。
西村 でも、専門委員会が立ち上がる前に医療保険部会で高額療養費の議論をしていた頃から、厚労省の恣意的な資料の出しかたは問題として指摘されていましたよね。
天野 2024年秋の医療保険部会では、高額療養費の引き上げはやむを得ないという空気だったので、委員の皆さんは資料についてあまり問題意識を持っていなかったと思います。
そもそも今回の引き上げの一番の問題点は、治療や医療の現場感覚が欠如したまま議論された、ということが根源にあったと考えています。特に私が印象に残っているのは、医療保険部会である委員の方が「がんは手術をすれば終わりではなくて、その後も長期にわたって治療が続くことを、つい先日テレビを見て驚いた」と発言されていたことでした。現在のがん治療では、年単位で薬物治療を受けている人がたくさんいる事実すら、委員の方々は十分にご存知ないまま議論をしていたのか、と感じましたね。
西村 2025年3月に最初の政府案が一時凍結された後の、5月頃の医療保険部会でしたね。
天野 そうですね。大変申し訳ないんですが「そんなことも知らずに委員の方々は患者負担を引き上げる議論をしていたのですか?」と思ってしまいました。 だからおそらく、2024年末に引き上げを決めた時は、「1ヶ月の負担くらい耐えられるだろう」という感覚だったのでしょう。今はその頃よりも認識が変わってきていると思いますが、それでも「月額上限が多少引き上げになったとしても、数ヶ月間ならがんばって支払えるでしょう?」という誤解がまだ多いと感じますね。
しかし、金融機関や民間調査会社のデータを見ればわかることですけれども、現役世代の貯蓄額はけっして高くないです。そういった現役世代の方々がひとたび大病をして、一時的であってもお金を払わなければいけない状況になると、かなり厳しいです。また、これも繰り返し指摘していますが、特に子育て世代や扶養家族が多い世帯は負担が非常に大きくなりますが、これも今の制度では考慮されていません。
西村 審議会の委員や厚労省の官僚や国会議員と話をしてきた天野さんの感触では、この人たちはそういった「治療現場で起きていること」を実感として理解しているんでしょうか。
天野 それはまさに、人によりますね。専門委員会の委員の方々は、先ほどから言っているように「社会保障財政が厳しいのだから引き上げは当然だ」という考えが大前提としてあるように感じました。
そういうお考えの人たちに対して、「高額療養費の伸びは本当はこの程度なんですよ」「患者の負担はすでにこんなに過重なんです」とお話ししても、正直なところ、なかなか理解していただくのは難しい感触でした。ただ、国会議員さんの場合はまったく別で、与党議員は高額療養費引き上げに賛成で野党議員は反対、という単純な区分けでもないんですよね。与党議員で引き上げに反対している方が実は結構いらっしゃいますし、また、引き上げを抑えるために行動してくださった与党議員の方々もいます。
逆に野党でも、高額療養費を引き上げるべきだという考えの議員の方々もいます。だから、高額療養費はそれぞれの政党内でも一致するのは難しいテーマなのだろうと思います。














