マイケル・ジャクソンという人は“ひとつのジャンル”

―堂本さんとマイケル・ジャクソンとの出会いは、どのようなものだったのでしょう?

堂本光一(以下、堂本) 何か特別な瞬間があったというわけではありません。両親が洋楽をよく聴いていたということもあると思いますが、子どもの頃から自然と自分の中にはマイケルの存在はありましたね。

―芸能活動を始めてから、実際にマイケルと会ったことはあるのですか?

堂本 直接お会いしたことはありませんが、1992年の年末に東京ドームで開催された『デンジャラス・ワールド・ツアー』に、当時の事務所の方たちと一緒に観にいきましたね。

仕事のつながりでいうと、1997年12月に阪神・淡路大震災の被災地復興支援プロジェクトとして、関西出身のメンバーがいるKinKi Kids(現在はDOMOTO)、TOKIO、V6の3グループが集まり、J‐FRIENDSというユニットが結成されました。

そのとき、マイケル・ジャクソンが『People Of The World』という楽曲を提供してくれました(1999年発売の同名のミニアルバムに収録)。とても素敵な曲です。

―曲に関して、何かアドバイスをもらったりしたということはなかったのですか?

堂本 僕はマイケルと話すことはできていませんが、レコーディングのときに(堂本)剛君がマイケルと連絡を取ることになり、アメリカの自宅に電話したんです。そうしたら先方の担当者が出て、長い時間待った挙句あげく、「今、マイケルはどこにいるかわからない」と言われてしまったそうです(笑)。

―その頃、マイケルが住んでいたのはカリフォルニア州にあった広大な住宅兼遊園地、ネバーランドですね。

堂本 そうだと思います。担当者が20~30分探しても見つからないなんて、マイケルはどれだけ広い家に住んでいるんだって、J‐FRIENDSのメンバーや当時のスタッフと話した記憶がありますね。

―マイケルからはどんな影響を受けていますか?

堂本 マイケルが大好きなので、いろんな音源やミュージックビデオなども見聞きしています。それらはもう自分の中に蓄積されていて、無意識にインスパイアされている部分がたくさんあると思います。

僕が言うのもおこがましいのですが、その中でも、エンターテインメント性というか、ライブのつくり方などは参考にすることが多かったです。

抽象的な言い方になってしまうかもしれないですが、マイケル・ジャクソンならではのステージ演出の「壮大さ」ですよね。環境問題や平和など地球規模のメッセージを世界に対して訴えかけ、スケールの大きな音楽のアレンジやダンス、空間演出で観客を魅了する。

現在のエンターテインメントの世界においてマイケル・ジャクソンという人は“ひとつのジャンル”だと僕は思っています。それは音楽もそうですし、ダンスもそう。例えば彼のダンスはジャズでもないし、ヒップホップでもバレエでもない。マイケル・ジャクソンという新しいジャンルなんです。

そしてマイケルの動きをよく見ていると、マイケル自身も尊敬していたフレッド・アステアやジーン・ケリーなどから影響を受けているのがわかります。

―ハリウッドの往年のミュージカル俳優の動きやダンスを参考にしていたということですね。

堂本 めちゃくちゃ勉強していたのではないかと思います。それを進化させて、「マイケル・ジャクソン」というジャンルをつくり上げた。マイケルのすごいところは、そうした努力を含めての部分なんだと思います。誰でもない、唯一無二の存在です。

堂本光一が語るマイケル・ジャクソン「彼はエンターテインメントの究極形だった」_1
すべての画像を見る