実は公共訴訟の恩恵を、今私たちも毎日受けている
朱 この本の最初と最後、谷口太規(もとき)さんが「はじめに」と「おわりに」を書いています――第2章、第7章もですが。ここはけっこう文学的というか、読ませる章ですよね。
亀石 確かに、谷口さんの文章は、とてもエモいです。
朱 エモいですよね。最初に「よく晴れた秋の日。」っていう空の描写から始まっていて。公共訴訟というと、堅い気がしたり、縁遠いイメージがあるかもしれないんですが、でも私たち、実はこの公共訴訟の恩恵を受けていて。それは公害訴訟なんです。
青い空が光化学スモッグに覆われていた、という時代のことを、皆さん、教科書で習ったと思うんですけど。それが、公害訴訟という公共訴訟によって、結果的に大気汚染や海の汚染が激減して、今、私たちが、東京や大阪のような大都市でも、いい空気を吸えている、ということにつながった。だから、「公害訴訟は日本における公共訴訟の原点なんだ」と言われてみて、初めて気づいて。
亀石 そうですよね。
朱 水俣病しかり、四日市ぜんそくしかり、いずれも大企業、ある意味で国策としてやっている重化学工業がもたらした健康被害なんですが、それが、ないことにされていた。
大企業の工場による排水や煤煙などと、水俣病やぜんそくなどの病気は関係がない、と最初は企業側や国は突っぱねたんです。それで、因果関係の証明は、全部原告側がやらなきゃいけなかった。ものすごく非対称というか、まったく対等ではなかった。でも、長い年月がかかったけれど、公共訴訟で原告が勝訴したおかげで、今のきれいな空気や海がある。
しかし、よく考えてみると、公害という言葉、すごく不思議で。通常、「公」といえば「公共的」であり、よい意味で使いますよね。公的って、「パブリックで、ジャスティスなもの」みたいな感じがあると思うんですけど、公「害」、なんですよね。公共が害をもたらす側に回っちゃうという。
亀石 本当ですね。公の害っておかしい。
朱 すごいですよね。この「公害」って表現は定着していて、みんな知っている。そう考えると、公共訴訟の役割とか、やっていることが分かる気がするんです。
みんなが、たまたま気づかないこと。公害がそうであるように、その地に住んでいないからたまたま気づかないけど「実は公共の仕組みによって、害をもたらされている人がいる」ということですよね。公共は害をもたらし得るものでもあるし、しかもそれを圧倒的な力によって、なかなか認めないし、変えるのが難しいことでもある。














