“一発屋”イベントは「まるで“アベンジャーズ”」

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――「一発屋LINEグループ」を作ろうと思ったきっかけは?

ムーディ勝山(以下、同) “一発屋”ってそれぞれの力はすごくあるのに、基本的
に個々で活動しているから、僕自身、まとまって何かをする機会があまりなかったんですよね。それなら「“一発屋”でユニットを組んだら面白いんちゃう?」と思って、レイザーラモンHGさんやジョイマンの高木晋哉さんらに声をかけて、2013年に「一発屋再生工場」というライブイベントを始めたのがきっかけでした。

――“一発屋”が集結したライブの反響はいかがでしたか?

まるで“アベンジャーズ”みたいでしたよ(笑)。それぞれの世代の戦隊ヒーローが集まるようなドリーム感があって。回を重ねるごとに動員も増えていって、吉本以外の事務所の芸人さんにも参加してもらって「一発屋総選挙」も開催しました。自分がやりたかった夢が叶った瞬間でもありましたし、“一発屋”同士の絆や連帯感も強くなっていきました。

――ムーディさんはご自身が“一発屋”であると早くから受け入れ、イベントの企画なども手掛けていたと伺いました。当時はどんな心境だったのでしょうか?

もちろん“一発屋”だと認めたくない気持ちはありました。2007年のブームをきっかけに2008年に上京したら、すぐにブームが終焉を迎えてしまって。そんな時期にケンドーコバヤシさんとかに飲みに連れていってもらったんです。そこで「仕事がなくて、今日も7連休なんですよ」みたいな話をしたら、先輩たちがめちゃくちゃ笑うんですよ。

――“笑い”として受け入れられたんですね。

そのときに、「こんなに面白い先輩たちが笑ってくれるなら、これは“笑い”になるんや」と思って、TVでもネタとして話し始めるようになりました。

――ご自身の状況をネタにすることに抵抗はなかったですか?

その収録現場にはレギュラーさんとか、髭男爵さんといった他の“一発屋”もいたんですが、「仕事なくなったことをエピソードトークにして笑いにするのはお前が初めてや! 斬新や!」ってみんなに褒めてもらったんです(笑)。

――周囲の反応が背中を押した部分もあったんですね。

あとは僕にも、“一発屋”と認めたくない時期、いわゆる「逃亡期間」は多少あったんですけど、“一発屋”の偉大な先輩であるダンディ坂野さん、つぶやきシローさん、有吉弘行さんの3人から、早々に「君も一発屋だよ」って肩を叩かれたことも大きかったですね。

――実際、その「逃亡期間」はどのくらいだったんですか?

多くの人が年単位で逃げ続ける中、僕は2、3カ月で捕まりましたね(笑)。

ブーム終焉後、早々に自身を“一発屋”と認めたムーディ勝山さん
ブーム終焉後、早々に自身を“一発屋”と認めたムーディ勝山さん
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