自分だけで創造しようとすることに価値はない
利用できるものはどんどん利用し、いいとこ取りをすればよいのです。少し補足しますと、何かを発想したいとき、メモなどを取ることにもきちんと意味や価値はあるのですよ。緊張したときはその気持ちをメモにして「外在化する」と不安な気持ちがラクになります。モヤモヤして目に見えない課題をそのまま取り扱うのは困難でも、一部だけ取り出して何かの形に「外在化」させると、それを操作するのはぐんとラクになるものです。アイデアを付箋に書き留めて並べたほうが発想は生まれやすくなります。
このように、頭の中だけで「思いつこう」とこだわるほうが解決は困難になります。一時期、「デジタル記憶喪失」などという言葉が話題になりましたが、その底流にはおそらく「変化していくことへの怖さ」もあるのでしょう。しかし、外的環境はどんどん進化しています。利用できるものは利用してしまいましょう。
ちなみに、「あれ」「それ」と出てこない人の名前などを、思い出す努力はしたほうが脳のためになるのでしょうか。脳機能の維持という側面からすると、「ちょっと思い出そうとするのは良い。しかし、ずっとこねくり回していてもしょうがない」というのが答えです。
思い出せないときには、脳のシナプスのつながりが悪い状態です。考えるヒントがあるときに思い出そうとするのはいいのです。あの仕事を一緒にした人だよね、とか関連情報に派生していく手がかりがある間は良いのですが、「それでもわからない」となったら、脳活動は下がります。その段階で検索して、「答え」の情報を入れると、いわば〝アハ体験〞のようになって脳の活性は高まります。
とはいえ、毎回、「ヒントを探って一定時間は考えなさい」とお伝えするつもりはまったくありません。たとえば、答えを見ずに考え続けた場合と、ちょっと考えた後に答えを見て、その答えから派生する情報のつながりを感じ取った場合の脳のネットワークの豊富さは、おそらく後者のほうが何倍も多いでしょう。
藤井聡太さんの例でいうと、定跡を自分だけで考えても限りがあります。一方、AIはすでに何百万局という戦いを経験している、そんな経験は人にはできないのです。
自分だけで創造しようとすることに価値を見いだす時代は終わりつつあります。便利なモノを使って発想力やセンスを磨くほうが、より楽しく面白く生きていけるのではないでしょうか。
文/篠原菊紀













