近隣住民が語る被告と被害者らの印象

被害者家族は2016年3月にこの地に越してきたという。近隣住民はこう証言する。

「自治会で年に一回『清掃デー』があって、奥さまが参加していました。きれいな方でした」

別の近隣住民は、「米国人の旦那さんとは、ゴミの集積場のところでお見かけすることがありました。挨拶はしますが、物静かそうでした」と話した。

検察側の冒頭陳述などによると、斎藤被告は平成初頭の小学1年生の夏に、両親や姉と共に岩槻市(現・さいたま市岩槻区)から引っ越してきた。

近隣住民によると当時は分譲開始の第一期で、分譲価格は1億円を超えたという。そんな裕福な家庭で生まれ育った斎藤被告は小学校時代は、イケメンかつ学業・スポーツともに優秀の人気者だったが、進学した全寮制の私立中学に馴染めず、地元の公立中学校へ転校し、実家に戻ってきた。そして斎藤被告が高校2年生のとき、父親は離婚し実家を出て行った。

さいたま地方裁判所(写真/筆者撮影)
さいたま地方裁判所(写真/筆者撮影)

斎藤被告は、かねてから映画業界に興味があったことから、大阪府内の芸術大学に進学。卒業後は本格的に映画制作をするようになり、2005年に発表された作品では受賞歴もあった。2007年、被告は監督として新たな作品を手がけはじめる。翌年には撮影が終了したものの、体調不良を理由として編集作業中に音信不通になったそうだ。

近隣住民によると、事件の数年前から母親と姉も実家からいなくなり、ときおり一人暮らしになった被告を心配するように、母親が布団を干したり、庭の草むしりに来たこともあったそうだ。住民はこう続けた。

「挨拶はなかったです。普通の背の高い人で、身なりもきちんとしていて、髪の毛がボサボサだったとか荒れた雰囲気はなかったですよ」

なぜ、斎藤被告はビショップさん一家を標的にしたのか。今後の公判では精神鑑定を行なった鑑定医への証人尋問や被告人質問などがあり、3月16日の公判で判決が言い渡される予定だ。

事件現場となった被害者宅の垣根には小さな献花台が設置されていた(写真/筆者撮影)
事件現場となった被害者宅の垣根には小さな献花台が設置されていた(写真/筆者撮影)
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取材・文/学生傍聴人 集英社オンライン編集部ニュース班