「お好み焼き」の常識が吹っ飛んだ衝撃的出会い
初めて出会った広島風のお好み焼きのおいしさに、僕は大袈裟ではなく「感動」しました。少なくともあんなお好み焼きは、それまで食べたことがなかったのです。
それまで、大学の近くにあった京都風(?)のお好み焼き屋さんにはたまに行っていました。お好み焼きという食べ物は、いかにも庶民的なようでいてその実、お店で食べると案外安くないもの。そのお店も基本的にはそうだったのですが、しかしそこはやはり学生街の飲食店です。他のどのお好み焼きよりひときわ値段の安い、「学生モダン」というメニューがありました。しかもそれは普通のお好み焼きより一回りどころか二回りくらい大きいのです。そうなるともう、貧乏学生としてはそれ一択です。
その「学生モダン」は、簡単に説明すると、焼きそば入りの巨大お好み焼きでした。生地に焼きそば麵とキャベツなどの具を混ぜ、それをそのまま焼いたものです。
麵は2玉分くらい入っていたのではないでしょうか。ただしその代わり、野菜の量はちょっと心許なく感じました。肉は全く入っていなかったはずはない気もしますが、ほとんど印象に残っていません。
当時お世話になっておいて今さらこんなことを言うのもなんですが、決してすごくおいしかったわけではありません。しかしその焼きたての炭水化物の塊にかぶりつき、ソースとマヨネーズを駆使してそれを食べ進めるのは、そんなに悪いものではありませんでした。
実家暮らしだった頃は、お好み焼きというのは基本的に家で食べるものでした。小麦粉を水で溶き、キャベツなどの野菜と肉を混ぜて焼き、ソースをかけて食べるものです。
母親は、水の代わりにだしで溶いたり、とろろを少し擦って混ぜたりといった工夫もしていたようですが、内心、結局ソースの味だよな、としか思っていませんでした。
かと言って、お好み焼き屋さんで食べても何かが大きく変わるわけでもありませんでした。だからお好み焼きに対しては、誰にでも作れてどこにでもあるどうってことない食べ物だな、という程度の認識しかなかったのです。
しかし、広島風のお好み焼きは完全に違いました。よくよく考えたら構成要素自体は「学生モダン」とそう変わりません。
しかしそれは複雑な手順を経て、文字通り重層的に組み立てられる高度な料理でした。肉や野菜もたっぷり、というよりむしろ野菜が主役で、生地は最小限。これはもはやお好み焼きを超えた何かである、というのが僕の認識でした。
そして、だからこそそれは「広島焼き」という特別な名前で呼ばれるのであろう、と納得しました。店頭に吊るされた赤提灯には「広島焼き」と大書され、メニューにもそう表記されていました。この料理の存在を教えてくれた先輩のFさんもそう呼んでいました。













