想像力の豊かな沃野
須賀 この三部作はロシアに占領された街の描写が本当に素晴らしくて、この東京が存在しないというのが信じられないくらい作り込まれています。これをどういうふうに書かれたのか、ぜひ伺いたいです。
佐々木 まず、ロシアが日本を占領したとしたら、軍はどう配置されるだろうと。皇居を囲むような形に置かれるだろうし、ロシア人街はニコライ堂を中心にできていく。統監府は丘の上の一番いい場所に設けられて……、というふうに必然的に決まっていった部分はありました。
須賀 今回、特に胸を打たれた描写があって。秋になって樹々の葉が落ちたから、警視庁から統監府がよく見える、というところ。あれが本当にリアルで、その時代に現地で生きている人じゃないと絶対言えないと思うんですけど、どうやったらすらっと書けるんですか。
佐々木 すらっとではないですけど(笑)。見てきたような噓をついて。
――須賀さんは登場人物の中でもコルネーエフが特にお好きだと伺いました。
須賀 え!? どうしてそれを……。すみません、いったん気持ちを落ち着かせてもいいでしょうか。
……はい。私、コルネーエフさんが最初に出てきたとき、ロシア側の憲兵だから身構えたんですけど、実はめちゃくちゃいい人で、職務には忠実だし、本当にフェアです。『抵抗都市』で新堂に「ロシア人の命と日本人の命は同じではない」と言うんですよね。言い方はひどいけど、事実じゃないですか。だからおまえは絶対日本人を守れよ、と新堂に警告してくれているわけですよね。そして、新堂のピンチにはちゃんと手を差し伸べてくれる。『分裂蜂起』で彼がどうなってしまうのか逆に怖くて、死んだらどうしよう、ってずっと心配していました。
――コルネーエフには、いくつか祖型になるキャラクターがいますね。
佐々木 核になっているのはロシア映画です。絵面は『アンナ・カレーニナ』かな。ロシア帝国の軍人というと、私はその映像でイメージしてしまうんです。
――人物造形については須賀さんにもお聞きしたいんですが、たとえば『神の棘』では、存在のありようが血のつながらない双子のような二人が主人公になりますよね。彼らはナチズムとキリスト教というまったく違うものを背負って対立するキャラクターです。毎回そういう構造を意識して人物配置をされているのでしょうか。
須賀 特に決めているわけではないですが、今おっしゃった対立というのは毎回入っていますね。昔から、トーマス・マンが大好きだったんです。マンの作品はアンビバレンツが大きな核になっていて、一つの事柄に対する相反する要素を中心に据えるというのは、私も意識していることです。
今作の新堂は、すごくフェアで優しい人だと思うんですが、一方で世界に対して怒りを抱えている部分もある。しかし暴力には訴えず、あくまで法の下でやっていこうとする。彼からはそのせめぎ合いをいつも感じます。新堂には戦地帰りのPTSDという問題があり、彼がどういうふうに自分というものを取り戻していくかというのが三部作の中でずっと描かれます。時には手を差し伸べてくれる人からも距離を取ってしまうほどに過去を引きずっていて。それがもどかしいんですけど、彼の心情は描写から本当によく伝わってくるんです。
――新堂を戦争の記憶を背負った人物に設定したきっかけは何でしょうか。
佐々木 日本が日露戦争で負けたという設定を思い付くと同時に、主人公は戦争で傷を負っていなけりゃならないと考えました。大日本帝国の敗北という国家にとっての傷だけではなく、戦場に駆り出されたがゆえの傷を持っていなければ意味がない。そうでなければ日露戦争を引っ張ってくる必要はないんです。
――佐々木さんの書かれる主人公は常に魅力的ですが、どんな思いで造形しておられますか。個人である、というところに大きな意味があるように思いますが。
佐々木 たとえば大戦三部作でも、主人公の行動原理は個人的な黙契でした。見返りのためではなく、個人同士の約束があるからその行為に身を投じる。警察小説に関していえば、私は主人公の警察官たちに一言も正義なんて口にさせたことはありません。法にだけ拠るんです。
須賀 私が『ベルリン飛行指令』を読んだのは十代のころだったんですけど、佐々木さんの書かれる主人公たちが、個人の意志を貫くというありようが本当にかっこよくて、こうでありたいと当時強く思いました。主人公の安藤啓一を通じて、あまり語らなくても行動で心情は示せるということを教わりましたし、多感な時期の心をかなり持っていかれました(笑)。
佐々木 ありがとうございます。読者が読んで、こいつはかっこいいや、と共感できる主人公を書きたいと、いつも思っています。
日本の未来に抱く思い
佐々木 この三部作を書き出したときの思いというのは、第一に今に対する問題意識なんですよ。私は『裂けた明日』という近未来小説も書いているんですが、あれは日本がまた中国に対して愚かな戦争を始めてしまい、最終的には中国も含めた外国軍に敗北するかもしれない、という未来予測から始まっているんです。同じように、この三部作に出てくるロシアも未来の中国で、裏にあるのは日本と中国の関係なんです。
――第一部『抵抗都市』の連載時には、社会の分断や格差の拡大が今ほど進んでいなかったと思います。現在の状況は、佐々木さんとしては想定外だったでしょうか。
佐々木 『裂けた明日』は、日本国民がファシズム政権を成立させたために破滅に突き進んでしまった後の話です。その政権が出来たのが二〇二四、五年ぐらいという設定だったのですが、本当にできちゃったな、という思いはあります。
須賀 加速度的に現実が追いついてきてしまった部分があって、怖いですね。
佐々木 『抵抗都市』を書き始めた当時はまだ漠然とした不安だったのですが、『裂けた明日』のあたりでポイント・オブ・ノー・リターンを過ぎてしまったと感じました。物書きは炭鉱のカナリア、人がまだ酸欠に気づいていないときに鳴いて危機を知らせる役割だとカート・ヴォネガットは言っています。それをここ何年かやってきたつもりでしたが、自分の声は空中に消えていっただけでした。不安を通り越して、無力感があります。
須賀 私はこれまで、あくまでエンターテインメントとして、正確にその時代を書くことを目的としていたんですけど、『また、桜の国で』のときだけは、はっきり危機感を持って書きました。先日この作品が朗読劇になりました。「愛国心」のような美辞麗句を濫用しているときは、言葉は絶対に正しい使い方をされていないというのが一番言いたかったことなんですけど、そこが若い方にもきちんと伝わったようで嬉しかったです。そういうことを書くのも大事なのかな、と最近は思うようになりました。
――佐々木さんはここまで、大正から昭和前期にかけて改変歴史世界を書いてこられましたが、この時代はまだ作品にされる予定がおありなんでしょうか。
佐々木 ロシア占領下の東京にかなり愛着が湧いてきて、これで終わるのはちょっともったいない気はしています。この設定で全然違う話を書けないか、と思ったりしますね。
須賀 舞台が魅力的すぎます。『分裂蜂起』にも分厚い人生を感じさせる人物がたくさん登場しましたが、たとえば彼らが出てくるスピンオフがあれば読んでみたいです。この舞台の物語をもっと、というのは多くの読者が望んでいるはずですから、声を大にして言っておきたいと思います(笑)。
「小説すばる」2026年1月号転載















