史実と創作の間で必要な心遣い

――蓮三郎の永蟄居は創作とのことですが、史料とのバランスはどのように考えられたんですか。

赤神 実は、神戸事件以前の瀧善三郎については、あまり記録がないんです。小説でも使っていますが、分かっているのは、少年時代に大砲の事故で怪我をしたとか、お父さんが早くに亡くなったとか、京都にお兄さんと遊学したけれど、お母さんの病気が理由で戻ってきたとか。
 また、岡山藩――『夏鶯』では吉備藩ですが――が幕末に何をしたかというと、大藩なのに結局、ほとんど何もできなかったんですね。幕末の岡山藩なんか描く小説家は、私くらいじゃないでしょうか(笑)。それをどう面白くするか、史実と(にら)めっこしながら考えました。
後藤 おっしゃるとおり、岡山藩は幕末であまり目立った動きはしていないんです。神戸事件を知っている我々からすると、こんな大事件があったじゃないかと思うんですけれども、知らない人からすると「岡山って幕末、何してたっけ」みたいな話になります。
 幕末の岡山藩のことを知っている立場で言えば、赤神先生はよく調べられているなと思いました。たしかに実名は使っていませんが、藩主の動きや、藩の中での政争など史実を下敷きにしつつ、面白い物語にされています。緻密に構成をつくられて書いたんだろうなと思いました。
赤神 子孫の方の手前、実在の人物を勝手に悪役にしたくありませんし、史実通りに書くとやたら複雑になるので、統合とか省略とか、技術的に苦労しました。
後藤 岡山には山陽道があり、人、物、金、情報が通るので、幕府につくか、朝廷につくかという時に旗色を鮮明にしづらかったと思うんですよ。そこで藩の中でも意見が割れた。どっちにつこうが絶対に何かが降りかかってしまうので、当時の岡山藩も苦労したでしょうね。
赤神 そう思います。薩摩藩の島津家出身で婿養子に入った藩主や、水戸藩の徳川家から養子となり藩主になった人物がいたのは史実です。現に「ヒラヒラ蝶」と馬鹿にされて、尊王と佐幕の間で揺れ動き、終始受け身に対応して、時代に取り残されていく。その状況を、藩内の政争に振り回される登場人物を通して描いてみました。

――歴史に材を採った小説、演劇として、現代人に対してどうアピールするかお考えですか。

後藤 極力難しい言葉は避けたり、できるだけシンプルなストーリー展開にするように心がけています。あとは、緩急をつけて飽きさせないようにしていますね。笑いあり涙あり。その二つの要素があると見ていて長く感じないんです。『ラストサムライ』も休憩を入れて前後編合わせて二時間半ぐらいあったんですが、終演後のアンケートで「あっという間でした」という声をたくさんいただきました。前半は善三郎と家族の物語、後半は神戸事件から一気に加速して最後の切腹までという構成です。
赤神 私は連載ものでも、いちおう最後まで書いてみてから、キャラ設定に手を加えてゆく場合があります。この流れで行くとキャラがかぶるから設定を変えようとか、ここに着地させるにはこういうキャラである必要があるけれど、一本調子ではつまらないから途中でこう変えよう。そのために、何か契機となるようなエピソードを入れよう、とか。
『夏鶯』で悩んだのは例えば蓮三郎のお兄さん、源五郎のキャラクターです。彼はいい人なんだけど、頼りない。愛すべきキャラになりましたので、源五郎に子はなかったんですが、子孫がいらしたとしても、お許しいただけると思います。
後藤 ()しくもお兄さんのキャラクターは、うちの『ラストサムライ』でも似た感じなんです。二人兄弟で、二人とも優秀では面白くありません。凡庸だけれど愛すべき一面がある男と立派なことをして果てた男という対比をどうしてもつけたくなります。
 赤神先生がおっしゃるように実在の人物の場合は歴史上の人物とはいえご本人や子孫の方々への配慮は欠かせませんね。
 劇団歴史新大陸でも、実在の人物を演じてもらうことが多いので、役者一人ひとりにそれぞれ人物と歴史的背景の研究をしてもらうようにしています。また、演じる役への敬意を表するために、役者を連れてその方のお墓参りに行くようにしています。
赤神 後藤さんは史実を大切にする方で、善三郎さんのお墓はもちろん、ゆかりの場所を調査するためにあちこちへ行かれています。
 それだけ知り尽くされたうえでエンタメとして仕上げるプロでもある。そんな方から『夏鶯』を評価していただけたのは嬉しいですね。

ごとう・かつのり◉78年岡山県倉敷市生まれ。大阪外国語大学(大阪大学)卒業。俳優・演出家・プロデューサー歴史研究家。一般社団法人歴史新大陸で代表理事を務める。「 桜田門外の変」や「新撰組」など、歴史を題材とした舞台に多数出演。
ごとう・かつのり◉78年岡山県倉敷市生まれ。大阪外国語大学(大阪大学)卒業。俳優・演出家・プロデューサー歴史研究家。一般社団法人歴史新大陸で代表理事を務める。「 桜田門外の変」や「新撰組」など、歴史を題材とした舞台に多数出演。
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史実に忠実に描いた切腹シーン

――『夏鶯』の中で後藤さんがお好きな場面をもう少しお聞かせください。

後藤 いっぱいあるんですけど、やっぱりさっきおっしゃった、ゆえありて永蟄居、の「ゆえ」が明かされる部分が印象的ですね。
赤神 ラストですね。ちょくちょく伏線を入れてはいるので、読者の心に少しずつ引っかかっていると思いますが。
後藤 なんと言っても『夏鶯』最大の謎ですから。最後に種明かしをしていただいたことで、読者も救われましたし、蓮三郎の魂も救われたんじゃないかなと思います。最後のシーンが一番好きなんですけど、ネタバレになるので、語れないのが残念です。
 ほかに好きなのは、周囲の大切な人たちが亡くなっていく。その死を間近で見ていることしかできなかった蓮三郎の胸のうちを想像すると、心をぎゅっぎゅっと締め付けられるようでした。胸が詰まりましたね。隣家の幼馴染で親友の準之介と最後に二人で岡山の城下町を歩くシーンも絶品です。
赤神 読者に気づいていただけると嬉しいんですが、若い女性が談笑しながら行き過ぎるんです。彼女たちは、実は岡山が蓮三郎によって守られることを知らずに幸せを謳歌しているんですね。映像化することがあれば、ぐっとくる場面になると思います。

――『夏鶯』では切腹についても、かなり詳しく書かれていますね。

赤神 切腹のシーンは何度も書き直しました。
 神戸は現に列強の軍隊に占領されていましたし、一歩間違うと香港のようになったかもしれない。いざ切腹という時に、六カ国の検証人がずらりと並んで、うわさに聞くハラキリとはどんなものか、と興味津々で見ていたはずなんです。そこでみっともない切腹なんかしたら、武士も、日本という国も軽んじられて、下手をすると神戸を失っていたかもしれない。皆が驚嘆するような切腹であったことが列強を黙らせ、日本を救ったとも言えるんです。
後藤 切腹については、当時のイギリスの外交官のアルジャーノン・ミットフォードという人が間近で見ていて、かなり詳しく書かれています。
 瀧善三郎が眉一つ動かさずに見事に切腹した様子が書かれていて、僕はその記録を参考に、舞台でほぼ完全再現のようなかたちで演じました。
 赤神先生がおっしゃるとおり、武士道の迫力や覚悟、気迫によって国際紛争を収めたというのは本当にすごいことです。いわゆる欧米列強の当時の砲艦外交――軍艦を並べて大砲で狙って脅す――のまっただ中で、大砲に対して短刀一本で勝ったようなものですから。それは世界中に広まるだろうと思いますね。
赤神 私もミットフォードが書いた時系列に沿って、誰がどこにいたのかという配置の記録なども参考にしました。もともと登場人物も、最終的に介添人、介錯人など切腹場面に立ち会うことになる人々を、主人公の周りに配置したんです。
 史実に基づくという点で言えば、『夏鶯』には具体的な地名も入れてあって、登場人物の名前にも使っているので、ぜひ御津金川に聖地巡礼していただきたいですね。せっかくの歴史的コンテンツですので。

――今年の七月には『夏鶯』にも登場している七曲神社の「七曲七夕みたま祭り」で、赤神さんと後藤さんのトークショーが開かれるなど、瀧善三郎の地元で盛り上がっているようですね。

赤神 そうなんです。最後にぜひ申し添えておきたいのが、後藤さんと地元の皆さんの活動のすばらしさです。瀧善三郎の慰霊は、七曲神社の宮司さんと禰宜(ねぎ)さんが毎年たった二人きりで、ずっとされていたそうなんですね。そこへ後藤さんが現れて、その熱量に多くの人が感化されて、慰霊に参加される方がどんどん増えていった。三年前からは「七曲七夕みたま祭り」が四百五十五年ぶりに復活して、多くの人たちが集まっています。
 地元の皆さんも本当にすてきな方たちで、今日、この対談の撮影をしてくださった朝日塾中等教育学校の生徒さんたち、ご指導されている熱血先生方もイベントに関わって、地元を盛り上げようとされています。
 後藤さんもDVDを出されるだけでなく、『ラストサムライ』の次なる上演も予定されているんですよね。
後藤 来年の七月十九日と二十日に倉敷市の倉敷市芸文館で上演します。その時には神戸の方々もお呼びして、いずれは神戸でも上演したいですね。この人が神戸を守ったということを広く知ってほしいです。
赤神 瀧善三郎は日本人が知らないだけで、世界的に有名なラストサムライです。私も『夏鶯』で瀧善三郎の武士道を世界に向けて発信していきたいですね。

「小説すばる」2025年11月号転載

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