駆除という非情な決断を下す覚悟も必要
巨大な爪と牙で窓ガラスを割り、分厚い鉄板のボディをへこませ、無数の傷をつけた。車という文明の防壁がなければ、この男性もまた、ヒグマの暴力の前に無力であったことは疑いようがない。
一連の襲撃の後、この恐るべきヒグマは野生動物管理当局によって追跡され、射殺された。当局は、三件の襲撃すべてが同じ個体による犯行であると断定した。この事件は、人間社会の脆弱性と、野生動物が持つ根源的な力を、血腥い現実として示している。
「共存」という言葉は美しく響く。しかし、その言葉が持つ甘い響きに酔ってはいけない。現実の共存とは、血と痛みを伴う厳しい選択の連続である。それは、野生動物の世界と人間の世界との間に、明確で不可侵な境界線を再び引く作業を意味する。
そして、その境界線を越えてきた個体に対しては、時に駆除という非情な決断を下す覚悟も必要となる。
ロシアの事件で命を落とした老女、岩手で遺体となった従業員の死を無駄にしないために、我々日本人は思考を停止することなく、この困難な問題に向き合い続けなければならない。
野生動物への畏敬の念を取り戻し、長期的な視点で自然を再生させ、そして現実的な管理手法を確立する。その重い責任が、今、我々一人ひとりに問われている。
文/小倉健一













