ヒグマに興味本位で近づき、写真を撮る。食べ物を与える
ヒグマに興味本位で近づき、写真を撮る。あまつさえ、食べ物を与える。このような愚行が後を絶たない。こうした行為は、ヒグマに「人間は危険ではない」「人間は食料をくれる存在だ」という致命的な誤解を学習させる。
それは、もはや餌付けではない。まわりまわってヒグマに死の宣告を下し、他の善良な人々に無差別の脅威をばらまく、許されざる行為だ。
このような愚か者たちにヒグマの脅威をわからせる必要がある。彼らの軽薄な好奇心と自己満足が、どれほど多くの命を危険に晒し、最終的にはヒグマ自身の命をも奪うことになるのか、その想像力の欠如は犯罪的ですらある。
この問題に対し、対策が試みられなかったわけではない。斜里町などは、2020年から3年間、知床五湖へ続く道で大規模なマイカー規制を実施した。代わりにガイドが同乗するシャトルバスを運行させるという、非常に理に適った取り組みであった。
初年度は多くの利用者を数え、成果を上げた。しかし、その試みは頓挫する。3年目には利用者が半減し、運営コストの大半を賄っていた国の補助金が減額されたため、継続が不可能になった。
短期的な経済性や利便性の前に、長期的な安全と自然保護という大義が屈したのである。このような場当たり的で継続性のない行政の姿勢は、批判されてしかるべきだ。
クマは一方的な悪者ではない
一方で、暗闇の中にも光はある。知床で活動する知床財団は、100年単位の視点で、ヒグマが豊かに暮らせる森作りという、地道で壮大な取り組みを続けている。
知床の森は、大正期からの開拓によって原生林が失われ、現在の森は針葉樹が多く、ヒグマのような大型哺乳類が暮らしやすい環境ではない。財団は植樹などを通して、かつての豊かな広葉樹林を取り戻そうとしている。
即効性は何もない。成果が見えるのは、今を生きる我々がこの世を去った後かもしれない。しかし、これこそが問題の根源に働きかける、誠実な態度と言えるだろう。その行動と理念は、ささやかではあるが、深く称賛されるべきである。
我々は、この複雑な現実をどう受け止めるべきだろうか。クマは一方的な悪者ではない。森を伐採し、山を切り拓き、彼らの食料となる木の実がなる森を奪ってきたのは、我々人間である。













