酒はやめたけど、新たな苦しみが
酒をやめたい。でも、やめられない。
子どもたちが小学校に上がるのが不安だった。幼稚園に送りとどける朝だけは酒量を抑えたが、自分たちで登校するようになったら、たがが外れて朝から酔いつぶれてしまうんじゃないか。
夫に連れられて依存症専門の医療機関を受診した。
「あなたはきっと変われますよ」。主治医の言葉に涙があふれた。
後になって、夫は子どもを連れて有利に離婚するため、自分を「妻の暴言・暴力による被害者」と証言してもらおうと受診に連れ出したことを知った。「本当は、自分にないものを持っている彼にあこがれていた。私は別れる気なんてなかった」
とはいえ、それがきっかけで酒を断つことができた。一方で、新たな苦しみが始まった。
寂しさ。自信のなさ。人づきあいの苦しさ。酔いにまかせて消してきた負の感情に、しらふで向き合わなければならない。夫婦の暴力の応酬も変わらず続いた。
「酒が杖やったから、それなしでどう生きたらいいか分からんかった」
しかし、何年かたつと、夫の態度が変わった。けんかになりそうになると、黙って2階へ消えていく。
「何で逃げるんや。夫婦って話し合うもんちゃうんか」。はじめはいらだって追いかけたが、彼は取り合わなかった。
夫婦で通い続けている依存症の「自助グループ」で先輩に不満をうち明けると、「あなたが話し合う態勢でいないんと違うか」と指摘された。たしかに。「私がけんか腰やったら、彼も話し合いできんやろな」
夫が逃げたら、追いかけるのはやめた。そして、できるだけやわらかい態度を心がけてみた。気持ちは同じやったんや。
年を追って夫婦げんかは減り、コロナ禍あたりからなりをひそめている。
何が平穏な生活を支えているのか。女性は「泣かせてきた子どもたちの存在が一番大きい」と話す。
双子のきょうだいはこの春、高校を卒業した。暴力の嵐の中で育った二人は反抗期もなく、18歳と思えないほど周囲に気を使う。その姿に、自分が負わせた傷の深さを見る。
この子たちが恋愛したら、仕事をしたら、周囲に気を使いすぎてうまくいかないんじゃないか。心配は尽きず、親としての自分を責める。
「悲しい思いばっかりさせてきた。もっと自由に感情を出させてあげられたらよかった」
家に暴力が飛び交った時代をほぼ知らない小学生の第3子は天真らんまんだ。「普通に育つと、子どもってこんななんやな」
かつて酒で消していた対人関係の不器用さや真面目すぎる性格は残る。「自分のお守りはまだできていないけど、一人で耐えずに人に助けを求めるようになったかな」
最近、夫とはずっと同じ気持ちだったと気づいた。
「『子どもたちと楽しく暮らしたい』って気持ちは同じやったんやなって。子どもたちの傷を癒やすために、私と彼が一緒に前を向いてなあかん」
小学生の子が先日、「今日は何もなくて、いい日だったね」と言った。「深いこと言うなあ」と感心した。
何もない、穏やかなだけの一日。いろんなことをくぐり抜けた今だから、そんな日が大切に感じられる。
文/朝日新聞取材班 写真/Shutterstock